12人の工芸・美術作家による新作制作プロジェクト!

東京国立近代美術館工芸館は、2020年7月、通称「国立工芸館」として石川県金沢市に移転します。国立工芸館開館を記念して、国立美術館は、クラウドファンディング第2弾として、国立工芸館と来館者の皆さま、そして工芸ファンの皆さまのために、現役工芸・美術作家12名による新作特別制作プロジェクトを行います!
本サイト「作品について」ページにて、作家12名の紹介をしていますので、ぜひご覧ください。

「工芸」と言っても、陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィック・デザインなど、多くの分野が存在します。国立工芸館の所蔵作品も、各分野にわたり、明治以降今日までの日本と海外の作品を3,800点以上所蔵し、現在も収集を続けています。
こうした多岐にわたる分野の中から、本プロジェクトでは、工芸の文化を長い間支えてきた「茶の湯」をテーマに選び、12名の作家さんたちに茶器や茶の湯に関連する新作を制作していただきます。完成した作品は、呈茶など、茶の湯に関連するイベントや教育普及のイベントなどで使用する他、工芸館が今後行う様々な展示で使用していきます。多くの方にとっては、本物の工芸作品を手に取り、形や質感、その卓越した技術に触れる機会は、あまりないと思います。国立工芸館にお越しいただき、ぜひ本物の作品に触れてください!

また、本プロジェクトで作品の制作をお願いしたのは、かけだしでもない、人間国宝でもない、これからの美術・工芸界を担っていく、69年から81年生まれの気鋭の作家さんたちです。伝統工芸を守り、発展させていくことは、国立工芸館の使命のひとつです。そのためには、名品の収集と、収蔵品の展示・公開はもちろんのこと、現役の作家支援も非常に重要です。本プロジェクトを通して、才能溢れる作家の活動を支援すると同時に、たくさんの方に工芸に興味を持っていただき、工芸を好きになっていただきたいと思っています。

最後に、本プロジェクトに参加してくれるのは、これまで工芸館の展覧会・イベントなどでご協力をいただいた作家さん、そしてこれからの工芸館にご協力いただく作家さんたちです。移転先の石川県だけでなく、熊本県、富山県、三重県、愛知県、岐阜県、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都、山形県と、日本各地で活躍する作家さんたちがここに集結します。この絆を大切にし、これからも、国立工芸館の活動にご協力いただきながら、一緒に日本の工芸文化を盛り上げていければ大変うれしいことです。
 

国立工芸館について

国立工芸館の移転先は、石川県金沢市の「兼六園周辺文化の森」(兼六園を中心とする半径1㎞の範囲内)の中にある「石川県立美術館」と国の重要文化財に指定されている「いしかわ赤レンガミュージアム(石川県立歴史博物館・加賀本多博物館」の間になります。
「兼六園周辺文化の森」には、円形のデザインが有名な「金沢21世紀美術館」、茶道具と工芸の「金沢市立中村記念美術館」、金沢出身の仏教哲学者である鈴木大拙を紹介する「鈴木大拙館」などの観覧施設や大正13(1924)年に竣工した石川県庁本庁舎を活用した「しいのき迎賓館」や明治24(1891)年に建てられた旧第四高等中学校本館を活用した「石川四高記念文化交流館」などの歴史的な建造物の施設があり、歴史的建造物に興味のある方にお薦めです。

 

東京国立近代美術館工芸館について
《コレクションとその展示》

工芸館では、明治以降、今日までの日本と海外の工芸およびデザイン作品を収集しています。特に、多様な展開を見せた戦後の作品の収集に重点を置いています。陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィック・デザインなどの各分野にわたって、約3,800点を収蔵しています。
これまで東京の工芸館では、所蔵作品展と特別展および共催展を年に数本ずつ開催してきました。所蔵作品展では、日本の近・現代工芸の秀作を中心に、120~140点の作品を選び、近代工芸の歴史をたどるテーマ展や名品展などを開催してきました。
特別展および共催展では、所蔵品の他、他館や個人蔵の名品や作家の新作などを借用し、大規模なテーマ展を開催してきました。また、デザインに関する特別展を、東京国立近代美術館本館2階のギャラリー4で、定期的に開催してきました。金沢移転後も、本館のコレクション展示の中で工芸・デザイン作品の展示は続ける予定です。
この他、工芸館では毎年「東京国立近代美術館工芸館巡回展」を開催し、年2~3会場において工芸館の所蔵作品を全国で紹介する機会を設けています。


北原千鹿《羊置物》1928年
二十代堆朱楊成 《彫漆六華式平卓》1915年
稲垣稔次郎《結城紬地型絵染着物 竹林》 1958年
初代宮川香山《鳩桜花図高浮彫花瓶》1871-82年頃
藤井達吉《草花図屏風》 1916-20年

東京国立近代美術館工芸館について 《建物》

工芸館は、東京都千代田区の北の丸公園で1977年11月15日から2020年3月8日まで、東京国立近代美術館の分館として、近現代の工芸およびデザイン作品を展示紹介してきました。その建物は、明治43年(1910年)3月に陸軍技師・田村鎮(やすし)氏の設計により建てられた近衛師団司令部庁舎を美術館仕様に改修したものです。
第2次大戦後、荒廃したままに放置されていた旧司令部庁舎は一度取り壊しの対象となりましたが、明治洋風煉瓦建築の一典型として、また、官公庁建築の重要な遺構として、またその建築的価値を惜しむ声がよせられたことから、昭和47年(1972年)9月、「重要文化財に指定のうえ、東京国立近代美術館分室として活用する」旨の閣議了解がなされ、同年10月、「旧近衛師団司令部庁舎」として重要文化財に指定されました。
外観および玄関、広間の保存修理工事と、谷口吉郎氏による展示室の設計に基づく内部の改装によって、工芸部門の展示施設として再生した建物は、昭和52年(1977年)11月15日、東京国立近代美術館工芸館として開館しました。修復にあたって建築当初のスレート葺に復元された屋根や、正面ホールから2階に伸びる両袖階段には、往時の重厚な装いを見ることができ、また、ゴシック風の赤煉瓦の簡素な外観は、四季折々に周辺の樹木と調和して、独特のたたずまいを見せていました。
このプロジェクトのお問い合わせはこちらから

新作制作中の作家12名をご紹介

このページでは、「国立工芸館」移転開館を記念して、国立工芸館と工芸館の来館者、そして工芸ファンの皆さまのために、新作を特別制作してくださる作家さん12名をご紹介します。
国立美術館のクラウドファンディング第2弾が選んだ工芸・美術家さんに共通するキーワードは...
① 気鋭1969-1981:かけだしでもない、人間国宝でもない。これからの美術・工芸界を担っていく気鋭の作家さんたちです!
② 日本各地:国立工芸館が移転開館する石川県だけではなく、熊本県、富山県、三重県、愛知県、岐阜県、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都、山形県、日本各地で活躍する作家さんたちです!
③ 絆:これまで工芸館の展覧会・イベントなどでご協力をいただいた、そしてこれからもご協力いただく作家さんたちです!
④ 茶の湯:工芸の文化を長い間支えてきた「茶の湯」をテーマに、茶器や茶の湯に関連する作品を作ってくださる作家さんたちです!
 

津金 日人夢  Hitomu TSUGANE 《陶磁 青瓷》

<プロフィール>
1973年熊本県生まれ。有田の窯業大学校に進学、基礎的な技術を学ぶ。帰郷し窯元をやっていた父のもと作業する傍ら、自主的な制作のへの思いを募らせ皆からの反対をよそに「手を出すと身代潰す」と言われていた青瓷の制作を独学で始める。28才頃から公募展への出品を始め、レベルの高い作品を目のあたりにし、又それを生み出す先輩方や同世代の作家と交流する中で益々作陶への想いを強くする。青瓷の発祥の地、中国での研修に参加し千年以上前の窯跡を踏査、陶片を実際の手にする機会を得るなど青瓷の本質に触れる。現在、日本工芸会や個展を中心に作品を発表。


<スタイル>
青瓷は中国皇帝が宮中で使用する為に焼かれたもので、高貴な焼物として珍重されてきました。故に「品格」を重んじます。色は青灰色が代表的なもので粉青とも言われます。私自身この色にこだわり作陶を続けています。何よりも大切にしているのは原料の吟味と焼く温度。原料はすべて天然原料の為、調合や焼きの微調整が必要でテスト焼きはかかせません。そうして出来上がった青瓷のレシピを生かすも殺すも造形次第。青瓷のもつ「品格」を意識しながら古い物を模倣するのでなく自分なりの形を探しています。手間もかかり、苦労の多い仕事ではありますが、不思議と楽しめています。

<工芸に対する思い>
日々の生活に溶け込み、そこに在る事が当然と思ってもらえる様な物を作りたい。使い易さは勿論の事、用いることによって生まれる美、それこそが人生を豊かにするスパイスの様なものだと信じています。子供がキャラクターモノの器を「自分の器」と認識し喜んで使っている様は微笑ましいです。日本の工芸が大人のそれとなれれば、それこそ日本の工芸界の明るい兆しに思えます。細部にこだわり心を尽す事が工芸の醍醐味であり真髄、作家としてこれを常に心掛け、素材と向き合い作品を生み出し続けられたらと心から願います。


<工芸館との絆>
2014年 「青磁のいま - 受け継がれた技と美 南宋から現代まで」出品
2016年 「近代工芸と茶の湯II」展出品

新里 明士 Akio NIISATO
《陶磁 白磁》

<プロフィール>
1977年千葉県生まれ。早稲田大学在学中に美術サークルで焼き物に触れ、大学を中退して岐阜県の多治見市陶磁器意匠研究所に入所。現在は岐阜県土岐市に工房を構え制作している。2011~12年、文化庁新進芸術家海外派遣制度でアメリカ・ボストンのハーバード大学セラミックプログラムにて制作。2016~18年、イタリア・ファエンツァで滞在制作。2018~19年、招聘作家として信楽陶芸の森で滞在制作。


<スタイル>
「光器」のシリーズは工芸の課題の一つでもある“用”と“美”の関係性についての自分なりの回答として作り始めた作品でした。初個展から制作しているのですが、技術的に深化するにつれて表現できることが拡がっているので、比較的手のかかる作業にもかかわらず15年以上新鮮に作り続けられています。


<工芸に対する思い>
私にとって、やきものの制作は自分の興味や思索を形に出来る作業だと考えています。しかし、作品を発表している以上、その問題意識や興味を他者と共有していくことも大切なことだと思います。そして、それが“工芸”という場での共有となると、また違った価値観も含めることにもなります。どのようなかたちでも、たくさんの人が“工芸”を見て、“工芸”について話し合うことを期待しています。


<作品>
http://niisatoakio.x0.com/work1.html


<工芸館との絆>
2004年    「非情のオブジェ」展出品
2010年    「現代工芸への視点-茶事をめぐって」展出品

和田 的   Akira WADA
《陶磁 白磁》

<プロフィール>
1978年千葉県生まれ。2001年文化学院陶磁科卒業。上瀧勝治氏に師事。2005年独立、日本工芸会正会員となる。2007年文化庁新進芸術家海外研修員として渡仏(フランス・パリ)。
主な展覧会 2011年「REVALUE NIPPON PROJECT」(茨城県陶芸美術館)、2013年「清州ビエンナーレ」招待出品(韓国)、2017年「現代6作家による茶室でみる磁器の現在」(根津美術館)、2019年「21st DOMANI・明日展 平成の終わりに」(国立新美術館)。
主な受賞 2009年第20回日本陶芸展特別賞 池田満寿夫賞、2011年第24回UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)山口銀行賞、2017年第27回タカシマヤ文化基金タカシマヤ美術賞/第37回伝統文化ポーラ賞 奨励賞、第64回日本伝統工芸展東京都知事賞、2020年令和元年度日本陶磁協会賞 他


<スタイル>
原料としては真っ白な天草陶石を使用し、轆轤で原型を制作します。乾燥後、彫刻刀などで形を彫り出すという手法を使い、陰影の美しさを追求しながら制作しています。

<工芸に対する思い>
人が使う人を思い、生み出される優しく美しいものと思っています。


<工芸館との絆>
2010年 現代工芸への視点「茶事をめぐって」 展出品
2017年 「近代工芸と茶の湯Ⅱ 」展出品

見附 正康 Masayasu MITSUKE《陶磁 色絵》

<プロフィール>
1975年石川県生まれ。小さな頃から絵を描くことが大好きで、幼稚園の頃には習字を習い始め、以来筆に親しんできた。家族の勧めもあり高校卒業後に九谷焼技術研修所への進学を選び、ロクロ成形など、やきもの全般を学ぶ。研修所在籍中に、赤絵細描を現代に蘇らせた第一人者である福島武山氏が指導する赤絵細描と出会い、1997年に研修所を卒業した後には、福島氏に外弟子として師事。10年間で超絶的な技巧を習得。2007年自宅工房にて独立。
2012年「工芸未来派」(金沢21世紀美術館)、2014年「パラミタ陶芸大賞展」大賞(パラミタミュージアム、三重県) 、2015~16年日本・スイス国交樹立150周年記念展「Logoial Emotion-日本現代美術展」(スイス、ポーランド、ドイツ巡回)、2015年ミュージアムアートアンドデザイン 「japanese kougei/future foward」(アメリカ)。2017年「工芸未来派・工芸ブリッチ」(EYE OF GYRE、東京)、2018年「やきものを分析する―装飾編」(兵庫陶芸美術館)、2020年銀座ポーラミュージアムアネックス「無形にふれる」など
個展 2007、09、16年オオタファインアーツ、2017年しぶや黒田陶苑
主な受賞 2019年第39回伝統文化ポーラ賞 奨励賞受賞 2015年度石川県石川デザイン賞受賞

<スタイル>
九谷焼の伝統技法、赤絵細描を使い自分なりの赤絵世界を大切に制作しています。白磁の作家さんに簡単なデザイン画で雰囲気を伝え、素地を作ってもらい、艶のない落ち着いた赤で絵付けをします。鉛筆や墨ですべて細かく下書きをしてしまうと、赤で絵付けをする方が細かな線になりあえて邪魔になるので、下書きは幅など主な線のあたりをつける程度です。紙に絵付けのデザイン画を描かないので、頭の中にあるデザインを筆で描いていきます。基本的に筆を持って細かい絵付けをしているのが楽しいです。

<工芸に対する思い>
人間の手により、素晴らしい技術から生まれる美しいもののように感じます。

<作品>
http://www.otafinearts.com/artists/masayasu-mitsuke/

<工芸館との絆>
2020年度に国立工芸館で開催を予定している展覧会に出品予定

内田鋼一 Koichi Uchida
《陶磁》

<プロフィール>
1969年愛知県名古屋市生まれ。1990年、愛知県立瀬戸窯業高等学校陶芸専攻科修了。2012年、滋賀県朽木に穴窯を築窯。2015年、三重県四日市市に萬古焼をテーマとする私設美術館「BANKO archive design museum」を開館。現在、三重県四日市市にて制作。
2003年「UCHIDA KOUICHI」(パラミタミュージアム、三重県)、2006年「陶芸の現在、そして未来へ Caramic NOW+」(兵庫陶芸美術館)、2008年「art in mino ’08 土から生える」(市之倉窯場跡、大川採土場他、岐阜)、2011年「MADE IN JAPAN 内田鋼一 Collection」(museum as it is、千葉県)、「白磁・青磁の美 ―伝統と創造」特別展示「内田鋼一 茶の空間」(樂翠亭美術館、富山県)、2012年「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」(新潟県)、「交差する視点とかたち」(札幌芸術の森美術館、北海道立釧路芸術館)、2019年「内田鋼一展―時代をデザインする」(兵庫陶芸美術館)
2018年度日本陶磁協会賞受賞。


<スタイル>
制作は土のみではなく、使用する素材も多岐に渡り、作品は無国籍な雰囲気で長い刻を重ねてきたような佇まいをしています。


<工芸に対する思い>
「工芸」という言葉の解釈や定義は様々ではありますが、人が生きていく上で必然的に生まれ、その時々で意味や形式も変わってはいく、人が人である限り、ずっと続いていくものだと思います。


<工芸館との絆>
2000年 「うつわをみる暮らしに色づく工芸」展出品
2010年「茶事をめぐって - 現代工芸の視点」展出品

今泉 毅 Takeshi IMAIZUMI 《陶磁 天目》

<プロフィール>
1978年埼玉県生まれ。2002年早稲田大学政治経済学部卒業。朝日陶芸展入選、岐阜県現代陶芸美術館で開催した「MINO CERAMICS NOW 2004」に出品するなどキャリアを積み、2005年に埼玉で独立。2009年日本陶芸展大賞桂宮賜杯、京畿世界陶磁ビエンナーレ銅賞。


<スタイル>
南宋時代の建窯の天目に憧れ習いつつ、独自に釉の調合、窯の焼成の試行を繰り返し、天目・鉄釉窯変の新しい可能性を追求しています。


<工芸に対する思い>
土、釉に使う土石、灰、金属など素材に依拠し、素材に作らせてもらっていると思っています。


<工芸館との絆>
2010年 「現代工芸への視線 -茶事をめぐって」展出品
2016年 「近代工芸と茶の湯Ⅱ」展出品
 

坂井 直樹 Naoki SAKAI
《金工 鍛金》

<プロフィール>
1973年群馬県生まれ。2003年、東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程鍛金研究領域修了、博士学位取得。2005〜08年金沢卯辰山工芸工房にて技術研修。2013〜18年同工房専門員を経て、2019年より東北芸術工科大学にて指導にあたる。
現在の作風になったのは金沢に移り住んだ15年前から。湿気の多い金沢では、その地域色に合わせてよく錆びることを改めて発見。自然の力に、目にみえて反応するこの素材にとても魅力を感じ、作品へと展開。
2003年野村美術賞、2012年美術工藝振興佐藤基金淡水翁賞、2016年テーブルウェア大賞 大賞・経済産業大臣賞、2017年日本伝統工芸金工展朝日新聞社賞、2018年ドイツベルリンフンボルトフォーラム茶室デザインコンペ最優秀賞など多数受賞。国内外での個展・グループ展のほか、金沢・世界工芸トリエンナーレ(金沢21世紀美術館)、アートフェア東京(2016、18、19年)、清州国際工芸ビエンナーレ招待作家、ジャポニズムの150年展(フランス・パリ装飾美術館)などに出品。


<スタイル>
工芸と生活の交差点を探る「モノつくり」を掲げ、現代社会に自己の作品や発想がどのように繋がり、またどう展開していくかを、ひとつひとつ向き合っていきたいと思っています。


<工芸に対する思い>
人は工芸に「用」だけを求めたのではなく、「美」を求めました。つくり手は求められた「美」に対し、「つくる」喜びを手に入れました。この関係が「人間」と「もの」を繋げる高い芸術精神を育んできました。その環境につくり手として身を置けることに喜びを感じています。


<工芸館との絆>
2016年 「近代工芸と茶の湯Ⅱ」展出品
 

三代 畠 春斎 Shunsai HATA
《金工 鋳金(釜)》

<プロフィール>
1976年富山県生まれ。父である二代畠春斎に師事し茶釜づくりを習得。2009年に三代目を襲名。先代から受け継いだ技術を守りつつ新しい感性を融合させ、柔らかさと鋭さが共存する形を特徴とする。
主な受賞 2007年第54回日本伝統工芸展朝日新聞社賞、2013年第42回日本金工展朝日新聞社賞、第60回日本伝統工芸展NHK会長賞、第7回佐野ルネッサンス鋳金展第1部門大賞、2016年第45回日本金工展熊本伝統工芸館賞、2018年第47回日本金工展石洞美術館賞など。
パブリックコレクションに工芸館、薬師寺(奈良県)、栃木県佐野市などがある。


<スタイル>
惣型技法を用いて茶の湯の伝統と歴史を踏襲しつつ現代のスタイルに合った茶釜の制作を行っています。


<工芸に対する思い>
茶の湯の歴史と伝統をつないでいくために、《いま/これから》の茶道具を考え、使ってもらいたいと思っています。



<作品>
https://www.hatashunsai.com/teakettle

<工芸館との絆>
2013年 「工芸からKOGEIへ」展出品
2015年 「近代工芸と茶の湯」展出品
2016年 「近代工芸と茶の湯Ⅱ」展出品
2018年 東京国立近代美術館工芸館名品展「いろどりとすがた」(石川県立美術館)出品

須田 悦弘 Yoshihiro SUDA 《木彫》

<プロフィール>
1969年山梨県生まれ。1992年多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。現在、東京在住。
主な展覧会 2020年「しきのいろ」(ザ・ギンザ)、2019年「時を超える:美の基準」(二条城)、2018年「ミテクレマチス」(ヴァンジ彫刻庭園美術館)、2017年「花|非花」(毓繡美術館、台湾)、2017年「特別展『茶の湯』」(東京国立博物館)、2017年「Jardins」(グラン・パレ、パリ)、2014年ガレリア・エルヴィラ・ゴンサレス(マドリード)、2012年千葉市美術館、2010年ギャラリー小柳、1999年「ハラドキュメンツ6:須田悦弘  泰山木」(原美術館)など。


<スタイル>
1993年から木で植物を掘り、彩色しそれを空間の中に置き周りの空間も作品の一部としたインスタレーションで制作・発表をしています。


<工芸に対する思い>
明治以前には美術と工芸の区別がなかった事を思うと、少し不思議な感じがします。


<工芸館との絆>
2007年:「工芸館開館30周年記念展II 工芸の力-21世紀の展望」出品

安藤 源一郎 Genichiro ANDO《漆芸 蒟醬》

<プロフィール>
1975年愛知県生まれ。2001年愛知県立芸術大学大学院油画専攻修了。2004年香川県漆芸研究所研究生課程修了。日本工芸会正会員、愛知県豊田市にて創作活動。
2015年第62回日本伝統工芸展日本工芸会新人賞受賞。
2019年「URUSHI 伝統と革新」(石川県立美術館、そごう美術館、MOA美術館)、「アートフェア東京2019」(東京国際フォーラム)などに出品。


    
<スタイル>
創作の拠点としているのは豊田市の自然豊かな小原という地域で、この地には古から息づく紙漉きの文化があります。自ら漉いた和紙と漆で作る「紙胎(したい)」の素地に香川で学んだ伝統的な加飾技法「蒟醬(きんま)」を組み合わせ、素材をいかしつつモダンで清新な表現を追い求めています。



<工芸に対する思い>
表現したいものがあって、制作をします。何かを掴んだように感じることもあれば、その一方で思い通りにならないことも多々あります。すると、また挑みたくなります。これほどおもしろいものはないと思っています。


<作品>
https://galleryjapan.com/locale/ja_JP/artist/1094/

<工芸館との絆>
2020年度に国立工芸館で開催を予定している展覧会に出品予定
 

松崎 森平 Shinpei MATSUZAKI《漆芸 蒔絵》

<プロフィール>
1981年東京都生まれ。2007年東京藝術大学大学院美術研究科漆芸専攻修了。2009〜12年同大学教育研究助手、2012〜19年同大学非常勤講師。現在、日本工芸会正会員、日本文化財協会理事。
漆芸の伝統装飾技法である「螺鈿」「蒔絵」を駆使し、作品発表を行う。現代的な色彩表現は、日本伝統工芸展や東日本伝統工芸展においての複数の受賞など高く評価される。近年では蒔絵で描いた絵画表現で、FACE2019日本興亜美術賞における優秀賞、オーディエンス賞受賞、 BVLGARI MECENATE優秀作品受賞と、伝統工芸にとらわれず幅広い分野での制作活動を行っている。


<スタイル>
用途性のある工芸作品と、絵画的な装飾性の融合を目指しています。主に扱う技術は、装飾では漆で描いたのちに金銀粉を蒔き、漆を塗り研ぎ出す研出蒔絵と、薄貝の裏から色漆や顔料で着色する、伏彩色技法を用いた螺鈿表現。造形では、木胎(指物、挽物、刳物)、乾漆と多岐にわたりますが、一貫して自らが観察しスケッチした、モチーフや風景のイメージから、感じたままの美しさを表現しています。

<工芸に対する思い>
日々積み重ね、用のある物を作り出すことも、それに描き飾ることも、作り手の優しさでありたいと思います。自分と他者と作ったものが、心地よく寄り添っていてほしいと願っていますが、それが一番難しいと痛感しています。


<作品>
https://galleryjapan.com/locale/ja_JP/artist/4639/


<工芸館との絆>
2013年 「工芸からKOGEIへ」展出品
2016年 「近代工芸と茶の湯Ⅱ」展出品

水口 咲 Saki MIZUGUCHI 《漆芸 髹漆》

<プロフィール>
1974年東京都生まれ。1992年東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。2004年石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆科卒業、小森邦衞氏に師事、輪島塗技術保存会 伝承者養成事業に参加。2008年年季明け独立。2015年第62回日本伝統工芸展朝日新聞社賞受賞、日本工芸会正会員認定。
個展 2010、18年スペースたかもり(東京都)、2015、17年髙木糀商店(石川県)、2016、19年ギャラリーen(香川県)
2016年「カタチのたたずまい」展(金沢21世紀美術館)、2016、19年「小森邦衞一門 一滴の漆展」(ジェイアール名古屋タカシマヤ)、2018年「URUSHI 伝統と革新」(石川県立美術館、そごう美術館、MOA美術館)、2019年「第二次 工藝を我らに」(資生堂アートハウス、静岡県)に出品、第二次メンバーとなる。


<スタイル>
髹漆(きゅうしつ)とは箆、刷毛等で漆を塗るすべての工程をいいます。素地に乾漆の技法を使い作品として仕上げるものと、普段使いの器、両方を制作しています。「塗り立て」の柔らかな漆の肌が生きる形を目指しています。塗り立ての上塗りはむつかしく、未だ四苦八苦していますが、上手く塗ることが出来たときは自然界に匹敵するほどの美しさで、一生をかけても塗らねばと思わされます。


<工芸に対する思い>
現代は至極便利で快適な生活になりました。そして工芸も現代の暮らしに即したものをと、よく耳にします。その通りと思うのですが、今は日本古来の美しい暮らしが薄らいでいる一面もあります。よくよく考えてつくらなければいけないと思いながら手を動かしております。


<作品>
https://www.nihonkogeikai.or.jp/works/8581

http://sakimizuguchi.com

<工芸館との絆>
2020年度に国立工芸館で開催を予定している展覧会に出品予定
 
 

レポート40(Final)新里さん・見附さんの返礼品(その4)

皆さま、大変お待たせいたしました。最終回の今回は、いよいよ新里×見附のコラボ作品、「菓子鉢」をご紹介します!
新里さんの器に見附さんが絵付けをするという、初めての試みが本プロジェクトで実現しました!すごいことです!とっても光栄です。ありがとうございます!!
 
まず、薄いグレー色をした九谷の磁器土に絵付けをしている見附さんの深みのある赤が、白さ際立つ新里さんの素地に綺麗にのるのか、そして絵付け用に調合した釉薬ではない新里さんの釉薬で、見附さんの赤絵が焼き付くのか、などなど、このコラボは本当に実現できるのか、試作品を作ることから始まりました。(レポート13でこの試作品をご紹介しています。ぜひお読みください!)
試作品は手のひらサイズの小さなものでしたが、コラボ作品は菓子鉢です。では、結果はどうなったでしょうか。完成作品をご覧ください!

すごく素敵です!可愛いです!とても初の試みとは思えない、確立したひとつのスタイルのようです。
コラボをするにあたり、新里さんは見附さんの絵付けのことを考えて、形や大きさ、穴を開ける場所などを決めたと思うのですが、新里さんはどんなイメージでこの鉢をつくったのでしょうか。お聞きしました。
新里さんは、器びっしり穴を開ける”習性”があるので、「余白を残さないといけないな」というのが普段の制作とは違う感じだったそうです。ただ、「ここに絵を描いてください」という余白の取り方ではなく、見附さんの絵がない状態でも「完成した作品」として出しても大丈夫なものとしてつくった、と。
まず新里さんが器をつくり、見附さんの手に渡り、新里さんの器に見附さんが絵付けをするという流れでしたが、新里さんの作品を見た時、どんな感想を持ったのか、見附さんに聞いてみたところ・・・なんと、担当はびっくりして感動してしまいました。「新里くんの作品ですが、僕が描く赤絵の細かさに合わせて穴も細かくしてくれているなと思いました。この作品は、これから僕が絵付けをして完成するコラボ鉢なのですが、もう新里くんの作品として完成していて、本当に素晴らしかったです。ですが、ちゃんと絵付けをする部分を上手に白磁で残してくれていて。」と、新里さんの意思がそのまま、語らなくても見附さんに通じていたのです!さすがです、息ぴったりのお二人なのでした。
また、見附さんは絵付けをする際、「何より、どちらかが目立つのではなく、二人の技術をどちらも見ることができて、新里くんの小さな蛍手の穴と紋様が自然と調和するように絵付けを心がけました。」と語ってくれました。
新里さんは、今回のコラボを通じて「余白をどうやって残すのか、という考え方が新鮮で面白かった。いい勉強になった。」と楽しんで向き合ってくれていたことがわかり、担当は嬉しくなりました。新里さんはこれまで、蓋をつくってもらうとか、他の素材とのコラボはやってきたそうですが、自分の作品に手を入れる、モノ自体に手を入れてくれ、という形のコラボは初めてだったそうです。また、見附さんの絵柄のイメージ案などを先にもらってから器をつくる、という流れだったら、また違っていただろうとも言っていました。「絶妙なタイミングになるので、そこがまた面白いよね。」と新里さん。新里さんの作品は、高台をつくるために、底の部分が必ず余白になるのだそうで、そこに見附さんの魅力がしっかりとはまって、より作品がもつ力が強くなった感じです。
これをきっかけに、今後もコラボ作品を発表してくれることを願います!


そして本作品はご応募いただいた方々の中から1名様を抽選で選びました。ご応募を締め切った後、開館前の国立工芸館にて抽選会を行いました。その方法は、昔懐かしい、あみだくじです!

画用紙に縦線を引き、応募者お一人お一人に割り当てた番号シール(手作り)を見附さん、新里さんに貼ってもらい、その後、見附さん、新里さんがそれぞれ横線を入れ、さらにこの日、作品の仮設置のために工芸館にお越しいただいていた須田悦弘さん、唐澤館長にも横線を追加してもらい、あみだくじが完成しました。なんと豪華なあみだくじでしょうか!!
マスクをしながらでしたが、和気あいあい、楽しい抽選会となりました。ご当選された方、おめでとうございます!!
 
そんな新里さんと見附さんの作品が、兵庫陶芸美術館の開館15周年記念特別展 「No Man’s Land-陶芸の未来、未だ見ぬ地平の先-」にて展示されています!5月30日まで開催されているので、担当もぜひお二人の作品に会いに行きたいな~(行けるかなぁ、、、)と思っています。
 
最後になりますが、皆さま、1年間、本当にありがとうございました!!!
ご支援くださった皆さま、12名の作家の皆さま、工芸館の皆さん、その他本プロジェクトでお世話になった皆さま、多くの方にたくさん助けていただき、声をかけていただき、皆さまの優しさにたくさん励まされました。とてもとても楽しい1年でした。
 
今後とも、国立工芸館、そして国立美術館をどうぞよろしくお願い致します。
国立美術館のクラウドファンディング第3弾も応援してください!

レポート40(Final)新里さん・見附さんの返礼品(その3)

最後のレポート(その1)と(その2)では、新里さんの返礼品をご紹介しました。今回は、お待たせしました、見附正康さんの返礼品のご紹介です!!

見附さんの作品は、(見附さんのお人柄そのままのように)とっても可愛らしい盃です。お皿がついています。見附さんの赤の中にところどころ見えるブルーとゴールドがなんとも言えない絶妙なバランスで、可愛さの中に凛々しさを感じます。お酒だけでなく、マカロンやシフォンケーキと一緒にアフタヌーンティーで、というのも素敵だな、なんて、想像がふくらみます。

制作について、お尋ねしてみました。
とてもミーハーな好奇心ですが、盃とお皿、どちらから先に描いたのかをお聞きしたところ、盃から先に描いたとのことでした。そして、なんとなんと、盃の内側の紋様から始めたそうです!!けっこう深いので、描くのは大変なのではないでしょうか、手が届かないので、筆を長く持つのかしら、違う筆を使うのかしら、なんて不思議に思い聞いてみると、内側も外側も同じ筆を使っているとのこと!内側を描く時には中に手が入らないので、いつもより少し上で筆を持つ感じでしょうか、と見附さん。そんなに遠くを持って、筆先をコントロールし、緻密な紋様を描くって、まさに超絶技巧。。。「今思うと、書道をしていたので、細筆は上を持って描くので、それが役に立っているのでしょか」と、いつもポジティブな見附さん(担当の超個人的なイメージです)らしいお答えでした。

今回の作品のイメージをお聞きしました。本プロジェクトの返礼品として、当方からは「盃」の制作をお願いしていたのですが、見附さんは何か特別感を出したいと思い、お皿をセットにしてくれたのでした。感謝しかありません!!また、個展などで出している作品よりも、形を「角」にして、いつもより「凝った形」「凝った絵付け」を心がけてくれたそうです。感謝が止まりません。また、絵付けも、いつもはブルー一色が多いのですが、青のバリエーションも増やしてつくりました、と見附さん。嬉しい気持ちが止まりません!チャーミングな見附さんの優しさと愛情がたっぷり詰まった作品ですね。
担当は、見附さんの展示を見て、大皿が多いのかな、と思っていたのですが、そんなことはないそうで、大皿から盃、茶碗などなど、色々とつくっているのだそうです。担当もいつか、見附さんの作品を!!(・・・ちょっと無理かな)と思いました。

作品を入れる桐箱もご紹介します。恥ずかしながら、今回のプロジェクトを通して、作家さんは作品が完成すると、その作品にぴったりと合う桐箱を作ってもらうことを知りました。そして、作家さんの個性は作品だけでなく、箱書きにも表れているように思います。筆で文字を書くのって、難しいですよね。かっこいい箱書きにするために、作家さんたちは練習しているのでしょうか。作品を納める桐箱も作品の一部なんだなぁと思いました。

次回はいよいよ最終回。
新里×見附コラボ作品をご紹介します!お楽しみに。
 

レポート40(Final) 新里さん・見附さんの返礼品(その2)

最後のレポート、その1はお読みいただけたでしょうか。今回は、新里さんの返礼品「引出湯呑」と、先日国立新美術館で開催された展覧会における新里さんの展示についてご紹介します。

さて、「こんな新里さんもあるのね!」的な作品は「引出湯呑」です。

前回のレポートでご紹介したように、蛍手の作品はご自身の窯で焼成しますが、この湯呑は「薪窯」で焼いたそうです。
さて、素人の担当は、そう聞いてもピンときませんでしたが、薪窯で焼くというのは、相当大変なようです。何がどう大変なのでしょうか。聞いてみました。
まず、何が違うのでしょうか、と聞いてみると、「土」が違う、と。恥ずかしながら「ぽかーん?」という反応をしてしまったのですが、優しく「信楽ベースの土を使うんですよ」と教えてくれました。
唐澤館長が信楽の土について教えてくれました。「陶土でしかも耐火度が高くないと焼成中に窯の中でへたってしまうと思います。信楽の土は薪窯の大きな温度変化や高温焼成にも耐えると思います。」なるほど、「土」と言っても、性質は様々、陶芸の長い長い歴史の中で、どの土地の土にどんな特徴があって、どういう方法に適しているのかなど、土についての多くのことを先人たちが見つけてきたのですね。

新里さんは、2~3年前に信楽で滞在制作した時に薪窯で制作したり、年に1~2回、多治見市陶磁器意匠研究所の先生や先輩のところで薪窯の作品を焼いているそうです。薪窯は、薪をくべっぱなしで何日間も焚き続けるそうです。数人で集まって当番を決め、状態を見守ります。釉薬が溶けたかな、というタイミングで窯の中から「引き出し」ます(ので、「引出湯呑」と言います)。今回の作品は、想像していたよりも黒くならなかったのですが、中世の時代の窯で作った灰釉のような質感で、グレーがかった茶色という絶妙な色が出たので、新里さんはとてもかっこいいな、気に入った、と思ったそうです。計算して出した色ではなく、偶然の産物なのですね。二度と同じ色は出ない、ということですよね。これが薪窯の魅力なのでしょうか。素敵です。
今回の返礼品をつくった薪窯は、研究所の先輩の加藤委(つぶさ)さんが新しく作った窯で、2回目の窯だったので、初窯に近く、集まった陶芸家の皆さんがあれこれ考えながら焼いてなかなか大変だったそうです。(ちなみに、新里さんいわく、加藤さんは「暴れる」窯を作る方、なのだそうです。闘い甲斐がありそうですね。)
ということで、こちらの返礼品も信楽まで行って特別につくってくれた貴重な作品なのでした!ご支援くださった皆さま、「光盃青皿」も「引出湯呑」も大切に使っていただければ嬉しいです。


さてさて。ご覧くださった方もいらっしゃるかと思いますが、1月30日から3月7日まで国立新美術館で開催された「DOMANI明日展2021」にて、新里さんの作品が展示されていました。とても斬新で素晴らしい展示でしたが、会期終了のためこれから見ていただくこともできないので、本レポートにてご紹介させてください。

下の写真でご覧いただけますように、裂け目が大きく入った「光器」が複数展示されています。また、「累日」という作品では、無数の小さな光器がずらーっと並んでいて圧巻です。(写真左)
新里さんは、基本的に制作の途中で割れてしまったものは廃棄していたのですが、時にメモリーとして置いておくこともあったそうです。そんなメモリーの1点が、今回の展示の起点となり、展開していったそうです。大きな裂け目が入った作品を展示し、「やきものの刹那的な美しさを表現」した新里さん。衝撃的でした。この大きな裂け目は、本焼成の前に「意識的に」ひびを入れるとできるそうです。これまで失敗としてきたものを、異なる視点で眺めてみると、異なる美しさが見えてくるのですね。きっと私たちの生活の中にも、そんな風にちょっと見方を変えるだけで、美しく見えるもの、こと、がたくさんあるのでしょうね。

次回は見附さんの返礼品のご紹介です。お楽しみに!

 

レポート40(Final) 新里さん・見附さんの返礼品(その1)

皆さま、最後のレポートです。本レポートをもちまして、国立美術館のクラウドファンディング第2弾は終了となります。1年にわたりお付き合いいただきましてありがとうございました!!
最後のレポートは、新里さん、見附さん、それぞれの返礼品と、お二人の初のコラボ作品についてのレポートです!
 
まずは新里明士さんの返礼品から。今回のプロジェクトのために、新里さんが作ってくれたのは、ザ・新里さん的な作品と、「こんな新里さんもあるのね!」的な作品、タイプの異なる2つの作品です。

ザ・新里さん的な作品は、「光盃青皿」(写真右)です。新里さんの作品といえば「蛍手」ですね。光が透けるようなとてもとても薄い素地にドリルで無数の穴を開けた磁器です。
作品の制作についてお聞きしました。まず、新里さんの土について。いつも瀬戸の原料屋さんで磁器土を買っているそうです。透光性の高い土を2種類使っていて、作品の大きさによっては混ぜて使うこともあるそうです。この土を練って、ロクロをひきます。そして、生乾きの状態でカンナを使い削って形を整えます。新里さんは高台もボディーも、カンナで削るそうです。ロクロの段階では、ある程度の薄さでつくり、削りの段階でしっかり薄くします。(下の写真では、新里さんが土を練っているお姿と防塵マスクをつけて削っているお姿が。何をしていても絵になりますね。)

土が生のうちにドリル(写真右下)で穴を開けます。生乾きのうちに、削りの作業もドリルで穴を開ける作業もしなくてはならないので、大変ですよね、スピードが命なのでは?とお聞きしたところ、土の乾き具合、土が乾いていく「タイミング」ですかね、と。新里さんは、いつも飄々としていて、きっとものすごく大変なんだろうな、苦労したんだろうなということも、さらっと爽やかに言いますし、放出される空気がスターのようであり、紡ぎ出されることばが哲学的でありながらも、とても気さくで、なんとも不思議なバランスの方、というのが、1年という非常に短い時間ですが担当が抱いた超個人的なイメージです。
話が大きく逸れました。このタイミングは季節によっても変わります。作品の大きさによっても変わります。求められる時間が長くなったり、短くなったりもしますが、作品が盃サイズの場合は30分から1時間が限界だそうです。大きい作品になると15時間くらいかかる(!!)ものもあるそうで、湿度や生地の乾き具合を管理しながら穴を開けていくのだそうです。驚きました。
ドリルで穴を開けている時に割れてしまうことはあるのですか?と尋ねると、今はもうないです、と。長年の経験でこの「タイミング」をつかんだのですね。

続いて、穴を開けた器を素焼きします。新里さんの工房には、窯が3基あるそうです。電気窯が2つ、ガス窯が1つ。素焼きは電気窯を使い、860度くらいで8時間ほど焼くそうです。窯出しをした器のバリをやすりで削り表面をきれいに整えます。非常に薄いので、このタイミングで割れることはあるそうです。

次に、水洗いで穴の中をきれいに掃除し、乾かします。乾いたら釉薬(灰釉)を穴の中に埋め込みます。全体的に湿らせる感じで塗っていきますが、素焼きしたものは、湿るともろくなります。なので、ここが一番割れるタイミングなのだそうです!!
すべての穴の中にしっかりと釉薬が入り、きれいになったら、本焼きです。本焼きはガス窯を使い1,220度くらいで12時間前後。窯から出し、もう一度穴に釉薬を入れ、同じくらいの温度と時間でまた本焼き。さらにもう一度。つまり、素焼き1回、本焼き3回です。大きい作品だと、素焼きは2回するそうです。これで完成です!!

今回の返礼品は、当初から「特別感」をお願いしていたので、新里さんは青いお皿をつけてくれました。青を出すには、土の段階でコバルトなどの色の粉(呈色剤)を入れて混ぜて作るそうです。そしてこの青いお皿はなんと、釉薬を入れていないので、穴が開いている状態のままだそうです!これを聞いた担当は、釉薬を施していなくても壊れないのですか?!とびっくりしましたが、強度に釉薬は関係ないのだそうです。新里さんは、黒や青など色ものを作る時は、マットな感じが好きなので、釉薬を使わないことが多いそうです。釉薬を使わない作品は、本焼き1回で完成です。そしてそして、この「白と青」の組み合わせ、超レアです。そもそも「盃と皿」の組み合わせ自体、過去に1度しかないそうで、1回目は6~7年前に作ったそうなのですが、その時は「白と白」だったので、「白と青」は初めてだそうです!!そんな貴重な作品を本プロジェクトのために作ってくださり、ありがとうございました!
ということで、素人の担当は、初歩的な質問をあれこれぶつけたわけなのですが、まったく嫌な顔ひとつせず、とても丁寧に教えてくれた新里さんでした。
次回は、「こんな新里さんもあるのね!」的な作品のご紹介です。お楽しみに。

39. ウェブでお茶を一服/工芸家の仕事場から 北陸編

国立工芸館のYoutubeチャンネルをご存知でしょうか?
本プロジェクトで制作された作品にお抹茶を入れ、和菓子をのせて「実際に使ってみた」様子を映した動画、そして北陸で活動されている畠さんと見附さん、2人の作家さんの制作現場を取材した動画が公開されています。とっても素敵な仕上がりになっているので、ぜひぜひご視聴ください!

国立工芸館Youtubeチャンネル

38. 和田さんの返礼品 銀彩ぐい吞み「自転車」

和田さん制作の返礼品が完成しました!(本コースにご参加くださった3名の皆様には、1月中にお手元にお届けしました。)
以前、和田さんの制作レポート(レポート34)の中で、和田さんが本プロジェクトのために、とっておきのスペシャルな返礼品を作ってくれていますとご報告しましたが、完成作品を見た担当は、スペシャルすぎて「!!!!!」となってしまいました。
「銀彩ぐい吞み」として和田さんが作ってくださったのは、こちらです↓

ぐい吞み、というか、これは・・・彫刻作品です!!
和田さんといえば「自転車」です。(ピンと来ない方は、ぜひ、和田さんのレポートをお読みください!)本作品は、「上部に」と表現すべきか、「下部に」とすべきか、自転車の彫刻が付いたぐい吞みです。お酒を入れるべく杯を上に向けると、先端が尖っていて自立しないので、お酒を入れたら一気に杯を空にする必要がありますね!
これはもう、本作品を目の前に置いて、作品を愛でながら、美味しいお酒を別の盃でいただく、という「眼福」としての使い方がよいかもしれないですね。
 
さて、本作品、ぐい吞み部分と自転車の彫刻部分は、一本の粘土からできています。自転車の車輪の輪っか部分など、いったいどうやって削ったのでしょうか。和田さんにお聞きしました。
和田さんはまず自転車の輪っかの内側から彫り出したそうです。驚くことに、先の尖った「剣先」という道具一本で!!!です。(和田さんのお道具については、活動レポート34のその4でご紹介しています。)もともとの粘土の太さを考えると、かなりたくさん彫ることになりますが、「彫る部分が多いほど楽しいですね」と和田さん。この自転車の部分を作るのに、いったいどのくらいの時間をかけたのか聞いてみました。「自転車部分だけですと、修正箇所なく彫り上げられれば2日間ほどです。ただ、少しでもかけたりすると修正がきかないので、初めからやり直しになります。今回は合計5つ彫りました。」本作品、とっても貴重なのだということを再認識。担当は感謝感激の気持ちでいっぱいです。
では、盃の部分はどのように作るのでしょうか。お聞きしました。「一本の粘土の塊から、まずは酒盃の部分を彫り出します。外側の模様の部分も内部の空洞部部分も、四角い道具で彫り出します。」なるほど。盃部分を作ってから、自転車部分を作るのですね。細かいことですが、和田さんがひとつの作品を作っていく様子が想像できて楽しくなりますね。
 
和田さんと言えば「白」なのですが、今回の返礼品は銀彩。なんと和田さん、「銀彩」作品は、これまで数点しか作っていないそうです!!つまり、とってもとっても希少なのです!そんな貴重な作品を本プロジェクトの返礼品にしてくださるなんて、感激してしまいます!

ということで、和田さんの「白」がどのように銀色に彩られていくのか、お尋ねしてみました。
まず、「銀彩」ってどうやるんですか?という担当の無知な質問に対する和田さんのお答えがこちら「銀の粉が混ざっている“謎の”液体を1,300度で焼成した作品に塗布していきます。」謎の液体ってなんでしょう!?企業秘密ですかね。銀液は製造する業者さんによってそれぞれ特徴があり、和田さんも正確にはわからないそうです。ということで、「“謎の”液体」です。
液体を塗布する際には、手で作品を持って塗っていくそうです。作品のどこかを持っていないと塗ることができないので(確かに)、上下2回に分けて、塗布していくのだそうです。乾燥には丸一日かかるそうです。乾燥させている間は作品を置くことができないため(確かに)、写真の道具を手作り(!!)して、作品を宙に浮かせて乾かしたそうです。すごいですね。見た目のスマートさからはなかなか想像できませんが、道具まで作ってしまう和田さんです。
謎の銀入り液体を塗布した後、乾燥させ、780度で焼成。その後、銀磨き用のペーパーで磨いて光沢を出し完成です!!

ということで、「銀彩」というだけで、とても貴重で希少なのですが、さらに彫刻の付いた本作品、超スペシャルでしたね!和田さんの工房を訪れた去年の夏には、ここまでスペシャルなものを作っていただけるとは想像もしていませんでした。
唐澤館長は言います。「銀はアクセサリーでもよく用いられる素材で、経年によって色が付いてきます。それは銀彩でも同じでして、持ち主とともに時を経ることになります。それがまた銀あるいは銀彩のいいところでもありますよね。」
世界に3点しかない和田さんの銀彩ぐい吞み「自転車」、大切に使っていただき、時と共に少しずつ変わってくる「自転車」の表情を楽しんでいただければ嬉しく思います。
 
ちなみに、作品を収めた桐箱の蓋の裏面には、国立工芸館の開館日、2020年10月25日の日付を入れてくれました。思い出になりますね。和田さん、ありがとうございました!

37. 返礼品:坂井直樹さんの侘びと錆びの花器/内田鋼一さんの酒呑

坂井直樹さんの返礼品は、一輪挿しの花器です。独立型のイーゼルタイプ(写真左)と、壁掛け方のタイプ(写真右)を作ってくださいました。フレーム部分は鉄で、その名の通り、鉄を「錆び」させています。お花を挿す部分は真鍮です。

お届けした方からは、「どんな花を挿そうかな、楽しみです」というお声をいただきました。それぞれのお家でどんな花が選ばれたのか、どんな場所に置いていただいているのか、考えると楽しくなります。
 
内田鋼一さんの返礼品、「粉引酒呑」と「引出黒酒呑」も完成し、支援者の皆さまのお手元にはすでにお届けしました。白と黒、かっこいいですね!

「粉引」は、素地に白化粧と呼ばれる白い土を施し、その上から釉薬を掛けたやきもので、温かみのある白い色が特徴です。使い込むと白化粧の部分に染みが入り景色を生みます。その染みは愛情のバロメーターでもあり、それぞれに個性をつくり出します。
「引出黒」はその名の通り、高温焼成中に釉薬が溶けたころを見計らって、窯から引出し急冷させて漆黒色を生む技法をいいます。窯から引出す際に溶けた釉薬に触るため、表面に引出す道具の跡が残ります。これを景色として楽しむこともできます。高温から一気に冷やすため、土の吟味や釉薬の調合に経験が必要となります。
と、唐澤館長が教えてくれました。

ちなみに、引出黒の器の左側に線が1本入っているのが見えるでしょうか。これは作家さんが施釉時(釉薬を掛けた時)にあえてつけたもの、指ですっと引いた跡だそうです。これもまた「味」ですね。粉引も引出黒も、どちらも渋いですね~。愛情をこめて使っていただけると嬉しいです。
 

36. 記念のリーフレットと雪の工芸館

国立美術館のクラウドファンディング第2弾にご参加くださったすべての方に、昨年末、記念のリーフレットお送りしました。お手元に届いていない方は、担当までお知らせください。

 
さて。1月の国立工芸館は雪景色だそうです。
(下の写真は唐澤館長による撮影です。いつもとても素敵な風景を見せてくれます!)

雪が積もっていない通路は、以前のレポートでご紹介した電熱線が仕込まれている部分ですね!金沢の国立工芸館、四季折々の姿が楽しめますね。ライトアップされた夜の工芸館、澄んだ空の青のグラデーションと月と雪がなんとも幻想的ですよね。

ところで、記念リーフレットの中では、秋の紅葉の工芸館の写真を使用していますが、お気づきになりましたか?

35. 返礼品:津金さんの酒盃と振出

青瓷作家の津金日人夢さん制作の返礼品、青瓷酒盃と青瓷振出が完成しました!支援者の皆さまのお手元にはすでにお届けし、素敵なコメントもいただいております。作品を実際に手にした方たちからのお声はとても力があり、嬉しくなりますし、励みになります。
 
今回の返礼品は、酒盃と振出です。「振出」は、金平糖などの小さなお茶菓子を入れるお道具です。津金さんが作った青瓷の振出から出てくる金平糖を想像してみました。贅沢~。いつもよりもずっと美味しく甘く感じそうです。
 
さて。津金さん、今回の返礼品は「一点物」にしようと、それぞれ違う形でつくってくれました!可愛らしく膨らんだぷっくりさん、ほっそりスマートさん。形だけでなく、釉薬の貫入にもベンガラあり、なし、と変化をつけてくれました。ちなみに、津金さんの作品の中では、しずく型が人気なのだそうですよ。
 
酒盃はどうでしょう。津金さんはわりと小ぶりの酒盃を作っているそうです。ひと昔前の酒盃は、もう少し大きなものが主流だったそうです。今回の盃も、可愛らしいサイズ感です。青い地にベンガラの赤がとっても綺麗に入っていますよね。これまたいつもとはひと味もふた味も違ったお酒になりそうですね!
 
これまでも担当のわがままを聞き入れてくれた男前な津金さん、箱書きに関しても担当のお願いを大きな懐ですっぽりと包んでくれました!素敵なリボンのついた特注の桐箱に「国立工芸館石川移転開館記念クラウドファンディング」の文字。達筆!!まさに一点物、今回のクラウドファンディングの素敵な記念になりました。津金さんのカッコ良さは、作品だけでなく、桐箱にも表れていました!!

34. 和田さんの「白」(その5)

前回は、和田さんの「彫り」と「焼き」の工程について、詳しくご紹介しました。今回は和田さんが陶芸家になるまでの道と番外編「初めてのロクロ体験」をレポートします。
 
それは作品でも表現されているので、ご存知の方も多いかと思いますが、和田さんの歩んできた道はとてもユニークでuniqueです。面白くて類がない、のです。
担当が和田さんに初めてお会いした時、スマートでインテリな感じ、というイメージを持ちましたが、お話を聞いていくと、陶芸家を目指す前は、自転車の選手になることを目指していた、とのこと。しかも、高校時代には、世界で一番有名な自転車のレース、ツール・ド・フランスでお馴染みのフランスでもレースに参戦したことがあるそうです!目の前にいる和田さんが自転車の選手??なかなかの衝撃を覚えた担当でした。
結局自転車の道は離れ、陶芸家の道を歩んだ和田さんですが、自転車は和田さんにとって、人生の大事なエレメント。自転車をモチーフにした作品もあるんですよ。そしてなんと、根津美術館のお茶室「閑中庵・牛部屋」に自転車そのものを展示したことも!(2017年)
 
自転車をやめた高校生の和田さんが、将来について考えていた時に出会ったのが陶芸でした。その頃、和田さんの地元で活躍していた有田焼の上瀧勝治氏(佐賀県有田出身)の白磁の作品を見て、「白」に興味を持ったそうです。高校を卒業した後は、文化学院陶磁科に進み、卒業後、上瀧氏に師事しました。そして27歳という若さで独立し、今日に至るわけです。
高校生というとても若い時に、大きな夢があるって、平凡な人生を送ってきた担当から見ると、とてもすごいことなのですが、その大きな夢のために10代の高校生がひとりフランスに渡るって、ものすごく勇気のいることだと思います。そしてその大きな夢をあきらめることも。こんな大きな決断をいくつもできる10代の男の子ってそんなにいないですよね。さらにその後すぐに一生向き合える仕事に出会い、その道をまっすぐ進む。すごい人だな、と南インドカレーを食べる和田さんを眺める担当なのでした。(初めてお会いした時、南インドカレーを食べながらお話を伺ったのでした。)
 
さて。最後に和田さんの制作レポート番外編として、担当の初めてのロクロ体験談です。
和田さん、ロクロを挽いている時に、「ちょっとやってみますか?」と。
なんと和田さんのご厚意で、担当は人生初のロクロに挑戦しました。意気揚々と湯呑がつくりたいという担当の発言に、和田さんも唐澤館長も、「え、湯呑?」とびっくり。
湯呑というのは、ロクロを挽く時にまっすぐに筒を上げていくので、初心者には難しいのだそうです。「湯呑をつくろうとして茶碗になる」パターンかな、と二人に言われロクロ体験が始まりました。
最初にどの手のどの指でなにをするのか、から、すべての動きを細かく丁寧に指導してくれる和田さん。いよいよロクロ初挑戦。「ちょうどいい大きさだと縮んでびっくりしちゃうから、ちょっと大きめにつくった方がいいよ」と唐澤館長。贅沢ですね。和田さんと唐澤館長からご指導いただくなんて。
プロ仕様のロクロには泥除けがないので、和田さんの風呂敷をお借りしました。「こればっかりはリモートできないからね」というところから話が発展し、陶芸家には「ロクロ師」がいるということをお聞きしました。板谷波山(1872年- 1963年)は、ロクロ師の横に立って、こうしてくれ、ああしてくれ、と指示をして器をつくっていたそうです。
恐る恐る指を動かす担当に「いいですね~、この不安定な感じがいいですね~」と和田さんには褒めて(?)いただき、唐澤館長には「これがいいよ。これは最初しかできないからね」と言われ、これが貴重な経験であることを再認識。
和田さんにご指導いただくままに指を動かしていると、「お、湯呑になっている!」と。なんとも偶然の産物です。そこからは、湯呑になるように、和田さんに丁寧にご指示をいただきながら形にしました。
土はうっとりするくらい滑らかで、つるつるで、触れている指、手がとても気持ち良くて、永遠に触っていられる!という感じでした。楽しいし、気持ち良いし、またやりたい!です。初めてのロクロ体験が、和田さんのロクロで、和田さんの特上の土で、和田さんに付きっ切りでご指導いただくという大変貴重な経験をさせていただき感謝しかありません。

「工芸館の移転にかかわることができたのは、一生の思い出」という和田さん。こんなに特別なことにかかわることができたので、返礼品も「超スペシャル」なものを作ってくれるのだそうです。ありがたや~。
 
そんな和田さんは大忙しです。来年は、山口県立萩美術館・浦上記念館のお茶室にて作品展示の予定、そして「ちばぎんひまわりギャラリー」(室町ちばぎん三井ビルディング/東京都中央区)では、学生時代の作品から今日の作品までを並べる個展をやるそうです。今から楽しみですね!また、今は壺中居(東京・日本橋)で「2019年度 日本陶磁協会賞・金賞受賞記念 和田的・前田昭博 展」が開催中です。唐澤館長と初日に伺いましたが、ここでもお二人のプロフェッショナルなトークが展開されていました。展示作品のひとつ(4つ並んだ作品の(↑)一番左の作品)を指さし、「お、なんか変えてきた!と思ったよ。」と笑う唐澤館長。「今までできなかったことをやってみたんです。」と和田さん。写真撮影に没頭し、お二人の貴重なトークを聞き逃した担当。後日唐澤館長に詳しく教えてもらいました。「蓋のつまみにあたる部分が、これまでは二次元的な造形だったのが、この作品では三次元的な造形になっていました。ということは、これまでよりも大きな磁土の塊から削り出さないと作り出せないため、準備も制作も大変だろうなと。また、胴部に彫られたラインも、上の方は彫りが薄く、下の方にいくにしたがって彫りが深くなっていました。この歩みを続けることで、より複雑でより立体的な作品に仕上がっていくのだろうと、この先が楽しみです!」ずっと和田さんの歩みを見てきた唐澤館長ならではのコメント、そして愛情ですね。担当も(よくわかっていないながらも)楽しみです!

国立工芸館で開催中の開館記念展I「工の芸術」展で、和田さんの本プロジェクト制作品をご覧いただけますので、ぜひ金沢に見に来てくださいね!

34. 和田さんの「白」(その4)

前回は、和田さんの土について、詳しくご紹介しました。今回は「彫り」の工程と和田さんの窯についてレポートします。
 
さて、下の写真、とても貴重な写真です。ロクロでつくった原型(右)を削ると、作品(左)になります。削ってつくるので、原型には厚みを出さなければなりません。原型が厚いので自然乾燥させるのにも時間がかかります。削ってから3ヶ月ほどおくそうです。


和田さんの道具を見せていただきました。刃の形が違う刀がたくさんあるのですが、結局いつも使っているのはこの3本です、と和田さん。(写真下右)さらに、本気を出せば刃先が▲の刀(写真下中央)1本でなんでも彫れるそうです!こんな小さな刃でどんな作品もつくることができるなんて、びっくりです。
これらの道具、刃の部分は自分に合わせて職人さんに作ってもらうのだそうです。
和田さんは、「削る」ことが一番好きで、いつまででも削っていられるのだそうです。(和田さんいわく、ロクロは苦手。)そして、この削るということが、和田さんの作品の個性であり特徴です。今回お話を聞いて、「陶芸家」と称してしまうよりも、「彫刻家」なんだなと思いました。
 
「彫り」の工程が終わると、いよいよ「焼き」の工程に移ります。和田さんの窯を見せてもらいました。この日は、プロジェクトのために制作してくださった「御神渡り」が窯に入っていました。(この日の夜に焼くということでした!)
 
さて、前回のレポートでもお話ししましたが、磁器に用いる「磁土」は「陶石」からつくられています。そのため「石もの」と呼ぶこともあります。ちなみに、陶器は「陶土」からつくられ、「土もの」と呼びます。「粘土」はそれらを総称して呼ぶ場合もあれば、狭義的にとらえて「粘土」=「陶土」を意味している場合もあります。
作品を焼成する時はすべて棚板を組んだ上に置きますが、その際、作品と同じ粘土(磁土)でできた板の上に置きます。そうしないと、土は焼いている時に収縮して動くので、そのまま棚板の上に置いて焼くと、器と棚板の接地面が動けずに残りハの字になってしまうそうです。器全体を一緒に縮めるために粘土の板の上に置いて焼きます。板を同じ粘土で作れば、板も同じように収縮するので、器の接地面と一緒に動いてくれる、というロジックです。
なので、最初の作業は粘土の板を作ることから始めます。ただこの板、のし棒で自分でのしたものだと、焼いた時に凸凹になってしまうのだそうです。そこで和田さんは、この板をつくるためだけに(!)、ローラーを買ったそうです。これがローラーの写真(↓)貴重な1枚です!
「ちなみに、」と唐澤館長「この板のことを有田では「ハマ」と呼ぶようです。作品1個につきハマも一緒にロクロで作って、そのハマに載せて焼きます。同じ磁土なので収縮率も同じで割れにくいとのことです。」ちなみに、次回のレポートでお話しますが、和田さんの師匠は有田のご出身です。

今回はここまで。最終回は和田さんの陶芸家になるまでの道、そして番外編、初めてのロクロ体験をレポートします。
お楽しみに。

34. 和田さんの「白」(その3)

前回は、和田さんのロクロの工程をご紹介しました。今回は和田さんにとっての「ロクロ」とは。そして和田さんの「粘土(磁土)」について詳しくレポートします。
まず、唐澤館長が「磁土」について教えてくれました。磁器に用いる「磁土」は陶石からつくられています。そのため「石もの」と呼ぶこともあります。ちなみに、陶器は「陶土」からつくられ、「土もの」と呼びます。「粘土」はそれらを総称して呼ぶ場合もあれば、狭義的にとらえて「粘土」=「陶土」を意味している場合もあります。
 
和田さんは、ロクロで挽いた原型を彫って作品にする作家さんです。つまり、和田さんの作業工程のメインは「彫り」と思ってしまうのですが、実はロクロの工程がとても重要なのです。なぜでしょうか。和田さんが教えてくれました。「中の径と外の径が決まっていて、何センチ上げなければならない、などすべてバランスが決まっているので、ロクロはすごい緊張感をもって対しています。粘土って、失敗したらまた使えばいいと思うかもしれませんが、1回使うと、汚れますし、コシがなくなるんです。なので、極力失敗はしたくない。一発で決まるようにロクロを挽く時は、全神経を集中させているんです。」そして、彫りの作家さんならではのご苦労も。「僕は年間12ヶ月ある内の3ヶ月しかロクロをやらないので、いつも初心者なんですよ、最初は。うまくないんです、苦戦しているんです。」と謙遜されていましたが、確かにスポーツでも芸術でも、毎日やらないと、腕がにぶると言いますから、前回から9ヶ月経ってまたロクロに向かう時には、感覚を取り戻すのも大変なのだろうな、と思いました。
また、和田さんのスタイルならではの大変さがあるそうです。「大量の粘土を使うので、ものすごく難しいんです。上に厚みを残すのが至難の業です。」
「ロクロを挽く3ヶ月の期間は、まず、ぐい吞みから挽いていって、段々花器などの大物に移ります。」と話す和田さんに唐澤館長が聞きます。「大きいものも、一個挽きですか?」
和田さんが答えます。「一個挽きです。今のところ「つなぎ」はやっていないです。師匠がつなぎの名手なので、習ってはいますが、まだ作品としてやってはいないです。初めてつくるものに関しては、最初の数回は粘土が何センチ必要か、というのを全部ノートに書き留めておきます。30センチを2本とか、25センチを2本とか、ノートに書き留めておいて、次やる時に、これだとちょっと小さかったかな、となれば35センチを2本とか、そうやってどんどんアップデートしていきます。」
 
 
和田さんは窯で焼く前に、3ヶ月程度自然乾燥させますが、窯に入る前の作品などが置いてある特注の棚を見た唐澤館長がさりげなく質問します。「この一番上に置いてあるのは、何年物くらい?」和田さんが答えます。「これは~・・・3年物くらいですかね。」「やっぱり生地がきれいだね。年数が経つと、黄色くなってくるんだよ。置いてあるものが何年物か聞くと、それを見て、良い生地を使っているかそうでないかがわかるんだよ。ただ、良い生地かどうかは、その人の特性だから。」と唐澤館長が担当に教えてくれました。一番良い生地を使っているからといって、その人の特性に合っているかというと、それはまた違うのだそうです。和田さんの作品は「白」、その美しい白が特徴なので、特上の粘土を使っているそうです。なので、何年経っても白さは失われないそうです。(そういうところを見られると、ドキドキしてしまう、と笑う和田さんでした。)
10年以上経っているという大きなお皿も見せてくれました。気に入らなくてそのまま置いてあるという大きなお皿は、12年くらい経っているのに、全然色が変わらない(白いまま)のだそうです。昔のものは、今のよりももっと質が良く、真っ白だった。と和田さん。
ちなみに、このお皿の何が気に入らないのか聞いてみましたが、「なんとなく」というお答えでした。27歳くらいの時の作品だそうですが、また5年、10年経ったら、作品として発表されることがあるかもしれませんね。どうだろう。。。もったいないです。
 
 
「土に出合うまでが難しい」と和田さんは言います。
有田の中でも粘土を扱うところは4軒くらいあって、「特上」、「優良」など、名前は同じ感じなのですが、スタンパーを使っているとか、どんな機械を使ってどんな作り方をしているかによって、質がまったく異なるので、それを見抜いて自分の土を見つけるまでが本当に大変だったそうです。時間をかけて、「自分の土」を見つけるのですね。長い道ですが、「これだ」というものに出合った時の喜びは大きいのだろうなと思いました。
粘土は自然のものなので、品質にばらつきが出ることがあるそうです。なのでこれまでの経験から、一度に600キロなどと大量に取り寄せるのではなく、年に3回くらいに分けて購入しているそうです。
 
陶芸家は皆さん、焼き損じや納得のいかなかったものなどは処分しますが、処分するということも、これまたひと苦労なのだそうです。有田など焼き物の産地であれば、工房の裏に処分用のトラックの荷台などがあり、定期的に持って行ってくれるなど環境が整っていますが、東京や和田さんの活動する千葉などでは、そんな環境は整っていないので、焼き損じの処理も自分で手配してやらなくてはならず、本当に大変なのだそうです。
ちなみに、個展に出すものや、注文を受けて作るものは、自分が納得したものしか出さないので、その裏には相当の数の世に出ないものがあるそうです。(和田さんの工房のお庭にも、「納得のいかなかった」作品がいくつも置かれていました。)
 
そしてプロフェッショナル同士の会話は「陶芸のゆらぎ」について展開します。
陶芸はゆらぎ。まっすぐぴったりつくるというのはとても大変なのだそうです。唐澤館長が言います。「ロクロで挽いたものは、つるつるに見えるけど、乾燥すると、ロクロで挽いた時のぼこぼこが出てくる。それを直す。焼いてもまた微妙に出てくる。そういう性質をもっている。圧をかけた時の密度の微妙な違いがそのまま出ちゃう。」と。和田さんが続けます。「内部の問題なので、外をいくら綺麗に仕上げても、焼いた時に、ロクロの回転の筋とかが出てくるんですよね。」ロクロの筋がとても綺麗に出てくることもあるそうです。ゆらぎをゼロにすることはできない。でも、それが陶芸の味であり魅力なのですね。
 
次回は和田さんの「彫る」工程、「焼く」工程についてご紹介します。お楽しみに。
 

34. 和田さんの「白」(その2)

前回は、和田さんが使う粘土(磁土)の量や練り方、和田さんが制作してくださる超スペシャルな返礼品などについてご紹介しました。今回は、和田さんならではのロクロの工程をご紹介します。
 
ロクロの回転にあわせて練った土を、パンパンパンパンと叩いてロクロに固定させます。唐澤館長が言います。「いい音してる。僕らが叩いても、ぺたぺたって音しかしないもん。」
 
完成図が頭の中にあるので、それに向けロクロを挽きます。今回の返礼品は彫刻付きのぐい吞みなので、その分高さを出します。ここから削り出してぐい吞みにもっていきます。
彫っていく時に、内部が割れていることがあるそうです。伸ばしたり、押したりしているロクロの作業の中で、空気が入ってしまうことがあるためです。なので、この作業は非常に慎重に行うのだそうです。


和田さんの場合、「ロクロを挽くというよりも、塊を作っているという感じ」なのだそう。普通はロクロを挽き終わった時点で器の形になっていますが、和田さんは塊を作って、その塊を削って作品にします。彫りで失敗、焼きで失敗、ということがあるので、1つの作品を作るのに、3つ4つ、つくらないと安心できないのだそうです。
仕上げには木のヘラ(写真下中央)を使って筋目をつけます。ヘラに年輪が出ているので、水をつけなくてもベターっとならない、引っかからないそうです。ロクロは「水挽き」と言って、円滑にするために水をたくさんつけて挽きますが、このヘラを使うと、引っ掻いている状態なので、接地面が少なくなり、摩擦の抵抗が少なくなるので、水をあまり必要としないのだそう。
この木のヘラを使う挽き方は、有田焼独特な方法だそうです。唐澤館長が言います。「和田さんの師匠は有田の人だからね。僕も有田でロクロを挽いた時、そのヘラを使ったよ。全然違いますよね。」ロクロ経験のない担当には、お二人の会話がまったくピンときませんでしたが、ヘラを使うと使わないでは、全然違うそうです。
和田さんが木のヘラを使って筋目をつけるのは、他にも理由があります。ロクロというのは、挽いた器を焼く時に、回していた向きと逆の向きに土が戻ろうとします。同じものを彫っても、ロクロで挽いた時の上と下とでは焼いた時の反りが異なるので、その反りも計算して完成図を描いている和田さんにとっては、どちらが上でどちらが下なのかを最後までわかるように示すこの線(写真右下)が非常に重要なのだそうです。
 
ぽかん???な担当の隣では、和田さんと唐澤館長のプロフェッショナル同士の会話が続きます。和田さん「割り付けた部分を1ミリ左に割り付けたりします。垂直に彫ってしまうと、ラインがずれてしまうんです。取り寄せた粘土の時期によっても違います。3ミリずれたりするんですよ。なので、1回テストをして、何ミリずれる、というのを見てから、作るようにしています。」
唐澤館長「ロクロで挽いた急須も注ぎ口が少し動くよね。後ろの取手もやっぱり少し動くから、そのままくっつけるとずれるんだよ。」
「いつもそんなところを見ているんですか」と担当が尋ねると、「そうだね」と和田さんと唐澤館長が笑います。
「そういう細かいところに、実は制作のヒントがあったりするんですよね。作家さんや職人さんが見せない技術的な部分の本音をどう読み解いていくのか、なんですよ~。」と和田さんが楽しそうに続けます。「狙っているのか、たまたまそうなったのか、とか、見る時に色々考えるよ。」と唐澤館長。プロフェッショナルたちは、器を見る時の視点が素人とはまったく違うのですね。とっても楽しそうな二人でした。
 
今回はここまで。次回は和田さんにとっての「ロクロ」とは。お楽しみに!

34. 和田さんの「白」(その1)

和田的さんは、主に白磁と青白磁の作品を制作する陶芸家です。「ダイ/台」(白磁)や「御神渡り」(青白磁)の代表的なシリーズの他、スタイリッシュな作品から可愛らしくほっこりする作品まで、様々なタイプの作品を発表している和田さんの制作について5回にわたりレポートします。
 
暑さ厳しい夏のある日、和田さんの工房に唐澤館長と一緒にお邪魔しました。(投稿が遅くなってしまいました!季節はもう初冬ですね。。)駅まで車で迎えに来てくれただけでなく、なんとこの日の取材に合わせて、返礼品の「銀彩ぐい吞み」の制作を開始してくれました。お顔だけでなく中身もイケメンの和田さんです。
 
和田さんは主に白磁と青白磁の作品をつくる作家さんで、本プロジェクトのためにも白磁と青白磁の作品を1点ずつ制作してくれました。そんな和田さんが本プロジェクトの返礼品としてつくってくれるのが、普段あまり制作をしないという「銀彩」のぐい吞みです。それだけでも「すごい!」「ありがたい!」なのですが、和田さん、「今回は特別なんです」と切り出します。お話を聞いてびっくり!「いいのでしょうか?」とこちらが恐縮してしまうくらい特別です。
 
何が特別かといいますと、滅多につくらない「銀彩」というだけでなく、彫刻された蓋がつくのだそうです(ぐい吞みと彫刻がある蓋で一つの作品です)。さらにさらに、台座もつきます!つまり「ぐい吞み」でありながら、「彫刻作品」でもある、そんな仕上がりになるそうです。これはもう、ぐい吞みとして使っても粋ですし、飾って愛でるのも粋。想像するだけで、完成が待ち遠しくなりますね。お申込みいただいた3名の皆さま、どうぞ楽しみに待っていてくださいね!
(完成形のイメージを見せていただきましたが、詳しく説明しすぎてしまうと、楽しみが半減してしまうので、すべては語りません!)
 
ということで、和田さん、「特別な機会なので、今回は100%彫りのぐい吞み、作ります。それを今から挽きます。」と作業を始めてくれました。

まず、これから使う粘土(磁土)を出した和田さん。上の写真(右上)、白いボックスに入った白い2本の粘土がそれです。ちなみに、粘土の下に敷いている「おせんべいみたいなもの」は15年物で独立した時から使い続けているそうです。「おせんべいみたいなもの」を下に敷く理由を和田さんが教えてくれました。「棒状の粘土を輪切りにして下に敷いておくんですね。粘土を直に置いてしまうと、ねちょっとなってべったりくっついてしまうので、粘土の下敷きの上に粘土を置くんです。」生の粘土で15年間乾いていないそうです。15年使い続けると、写真のような感じになるそうです。緑色はカビです。和田さんはカビの生え方を見ると、その粘土の質がわかるそうです。自分が使う粘土という道具と、とことん向き合ってきた和田さんならではのエピソードですね。
 
突然ですが、ここでクイズです。
和田さんが1年で使う粘土の量、どのくらいだと思いますか?
答えは後ほど。ここでヒントになりそうなエピソードを。作品に使用する粘土の量について和田さんが説明してくれました。「これ(写真の棒状の粘土)は30センチなんですけど、僕の一番巨大な作品では、この30センチを8本使っています。50キロです。さっき持ってもらった水指(写真左上)は、これが約2本。あんなに小さな作品でも2本使います。」
いかがでしょうか。1年で使う量、なんとなく想像できたでしょうか。
では答えです。なんと。1トンだそうです!1年で1トン。
和田さんはロクロで挽いた原型を削って作品をつくる作家さんですが、1トンの内、作品になるのは300キロ、なんと削る部分が700キロなのです!ただ、割れてしまうものもあれば、自分でどうしても納得のいかないものもあるので、300キロすべてが作品として世に出るわけではありません。驚愕の数字でした。。。
 
作業台にバン、バンと打ち付けながら、粘土を練っていく和田さん。ご自身の練り方について説明をしてくれました。磁土を練る時、土の中に含まれている空気が残ったままだと、焼いた時に割れてしまうので、空気を抜くために「菊練り」という練り方を一般的にはするのですが、和田さんが使っている土は、「真空土練機」という機械を使って作られているので、すでに空気が抜けている状態なのだそうです。なので、「ちょっと方向性をつけるくらいの練りです。あまりひだはつけないで、空気が入らないように、ロクロの回転にあわせてぐるっと巻いていきます。」と和田さん。和田さんの工房は、土が乾いてしまうといけないので、エアコンがありません。ですので、外の気温が35度を超えていたこの日、工房の中も大変な暑さです。汗も滴るいい男、和田さんは言います。「すごく地味な感じですが、すごく力が入っていて、8本使う作品だと、練るだけで3時間かかるんです。午前中練って午後挽くみたいな。」なんとも大変な作業です。和田さんの腕に浮き立つ血管を見れば、どれほどの力が出ているのか、素人の担当にもわかります。
 
今回はここまで。次回はロクロの工程をご紹介します。和田さんの場合、一般的なロクロの工程とはちょっと異なります。お楽しみに!

12名の作家の作品リスト

10月25日から始まりました開館記念展「工の芸術」の会場内、「芽の部屋」と「ラウンジ」に展示されている12名の作家の作品リストを掲載します。ぜひご覧ください。

作品リスト

33. 国立工芸館が開館しました!

2020年10月25日、東京国立近代美術館工芸館、通称「国立工芸館」が開館しました!
すでにご来館くださった方もいらっしゃるかと思います。新しい工芸館はいかがでしたか?
 
さて。25日の開館に先立ち、前日の24日に国立工芸館の開館記念式典と内覧会が行われました。24日の金沢の天気予報は、朝から一日中雨、さらには雷注意報なども出ていました。これはもう絶望的・・・とスタッフ全員が思っていましたが、朝7時40分頃、担当が工芸館に到着すると、美しい秋の青空が広がりはじめました!奇跡って起こるのですね。まぶしいくらいの光を放つ太陽が工芸館の開館をお祝いしてくれたのでした。
式典の開始から終了まで、日向に立っていると汗ばむくらいのぽかぽか陽気で、職員、関係者一同はホッと胸をなでおろしたのでした。


上段左の写真は式典が始まる前の空の様子、右の写真は式典最後のテープカットの様子です。下段の2枚、これはエントランスの写真です。扉を入るとすぐ右手のガラスの壁面に、クラウドファンディングのパネルが貼ってあります。プロジェクトの概要(右)、そして掲出をご希望くださったすべての皆さまのお名前一覧(左)です。パネルはこの場所に1年間設置されていますので、ぜひここに立って記念写真を撮ってくださいね。
 
今回のプロジェクトのために12名の作家さんたちに制作していただいた作品は、2階に展示されています。「ラウンジ」というお部屋と、「芽の部屋」というお部屋に分かれていますので、両室ともお見逃しなく。


上段左、唐澤館長がいるのは「芽の部屋」です。ここでは茶室を設えて、茶室の中に茶の湯のお道具たちを展示しています。この茶室は、内田繁氏の「茶室 行庵」(組み立て式)です。展示室の中に茶室が出現するなんてびっくり!とっても素敵ですよね。
掛け軸は、工芸館の所蔵作品、石黒宗麿氏の書「道」です。写真ですと小さくてよく見えないかと思いますが、「道」の文字の下には石黒宗麿氏のサインが書かれています。(担当には「道」の文字がカタツムリに見えて、なんて可愛いのかしら!と思ってしまいました。)唐澤館長は、今回は若い作家さんたちの作品の展示なので、「それぞれに道を究めてほしいな」という思いで、この掛け軸を選んだのだそうです。
 
茶室の中には、坂井直樹「湯のこもるカタチ」、水口咲「乾漆盆 はなひら」、松崎森平「螺鈿棗 海平らけし」、和田的「白磁茶盌 ダイ/台」、津金日人夢「青瓷水指」、見附正康「赤絵細描小紋茶盌」、内田鋼一「引出黒茶盌」、須田悦弘「桔梗」、そして坂井さんのもう一つの「湯のこもるカタチ」(今回は“花入れ”として見立てています)が展示されています。須田さんの桔梗は、茶室の右奥に「生えて」います。こちらではなく、向こうを向いているところに、担当はぐっときてしまいました。須田さんの茶目っ気、たまらないです。
「芽の部屋」には、他に展示ケースが2つ。向かって右側のケースには、「白」の作品:和田的「茶盌 御神渡り」、新里明士「光碗」、内田鋼一「加彩茶盌」が展示されています。白の競演、作家さんの個性がよくわかる展示ですよね。
向かって左側の展示ケースは「作家」をテーマにしています。今泉毅「窯変天目」「青瓷茶碗」「白瓷茶碗」が展示されています。今泉さんというひとりの作家が作る3つの異なる茶碗、ご堪能ください。
「ラウンジ」の中には、Shimoo Designによる「浮様入れ子式立礼卓(りゅうれいしょく)」が置かれ、モダンなお茶会の雰囲気。三代畠春斎「八角隅切釜 律」、内田鋼一「白金彩茶盌」、安藤源一郎「紙胎蒟醬風籟茶器」、新里明士「光器水指」、津金日人夢「青瓷盌」、水口咲「乾漆盆 はなひら」が展示されています。(通常は、作品保護のためロールカーテンは閉めていますが、窓から紅葉した木々が見えてとても素敵でした。新里さんの水指も外からの光が入ると、また見え方が違います。)

作家さんも内覧会に来てくれました。安藤さん、坂井さん、新里さん、畠さん、見附さん、和田さん、お忙しい中ご来館くださりありがとうございました!
 
最後に。お待たせしておりますが、記念リーフレットは、鋭意製作中でございます!
完成しましたら、すべての参加者の皆さまにお届けしますのでお楽しみに!
 
金沢駅、街中で。工芸館OPEN!!

32. 完成作品 須田悦弘 桔梗

皆さま、お待たせしました。今回のレポートでは、須田悦弘さんの完成作品をご紹介します!
 
須田さんの作品といえば、小さなお花や草、葉など。作品を見たほとんどの方は、必ず「え、本物??」と思わずにはいられないのでは。実際、展示していた作品を掃除してしまった清掃員の方がいたそうです。しかも、何か所、何か国で・・・!!
「こんなところに草が生えてるわ」と、その草(須田さんの作品ですよ)を抜こうとした同行者のところに、看視員が大慌てで駆け寄ってきて、「人が飛ぶのを人生で初めて見た」と驚いたことがきっかけで、以来、須田さんのファンになった、なんていう話も聞いたことがあります。
須田さんの作品はとても繊細なので、展示の際や、展示中に破損されてしまうこともよくあるそうです。壊してしまったり、掃除してしまったり、管理したりしている側としては、血の気が引き背筋が凍る思いをしているはずなのですが、こういう様々なエピソードを話してくださる時の須田さんが、とても楽し気で、担当は「なんと器の大きな・・・」と惚れ惚れしてしまうのです。

前置きが長くなりましたが、そんな須田さんが本プロジェクトのために作ってくださったのは、紫の美しいお花、「桔梗」です!



いかがですか?繊細で可憐で美しくて、うっとりしてしまいます。
作品の素材は、朴(ほおのき:モクレン科の落葉高木)で、顔料、岩絵具を膠(にかわ)で溶いたもので彩色をしているそうです。
国立工芸館は当初は夏の開館予定だったので、夏に咲く花、キキョウをつくることに決めてくださったそうなのですが、新型コロナウィルスの全国的な感染拡大という事態を受け、開館が秋に延期されてしまい・・・。でも、キキョウは長く咲いてくれる花なので、10月に入っても咲いているのを見かけますし、キキョウは秋の七草のひとつ。開館をお祝いしてくれているようで嬉しいですね。上の写真では、作品を撮影するために、横にして置いていますが、10月25日から始まる「工の芸術」展では、いったいどんな場所でどんな風に展示されるのでしょうか。皆さん、楽しみにしていてくださいね。
 
このレポートをご覧くださった皆さまに、貴重な写真を1枚。下の写真、なんと須田さん愛用のお道具です!!一番右に見えるのはキリです。このキリを使って、展示室の壁にくりくり~と穴を開けて、作品を「ぴっ」と刺します。先日、そのお姿を拝見する機会を得た担当は、大興奮でした。


最後に。余談で申し訳ありませんが、キキョウといえば、最終回で半沢直樹を救ったお花ですよね。花ちゃんが白井大臣の胸ポケットにキキョウを挿し、この小さなキキョウの花が大活躍しました。すでに須田さんの作品を見せていただいていた担当は、「須田さん!」とひとりで盛り上がってしまいました。(担当が半沢直樹の話を須田さんにお伝えしたところ、今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀の家紋が「桔梗紋」であることを教えてくれました。キキョウ、旬ですね!)
 
疲れて歩いている時に、ふと視界に入ってきた小さなお花に癒されることがあります。先日も、ふと香ってきた金木犀の香りに秋の訪れを感じ、幸せな気持ちになりました。一輪の小さな花が人生を変えることもありますよね。勇気をくれることもあります。須田さんの小さな作品にそんなパワーを感じる担当でした。
 

31. 年間パスポートと招待券をお送りしました!

国立工芸館の展覧会を何度でもご覧いただける年間パスポートと開館記念展「工の芸術 素材・わざ・風土」展の招待券を、該当コースにご参加くださった皆さまにお送りしました。お手元に届いたでしょうか。

 
年間パスポートの色は、国立工芸館の建物(金沢偕行社)をイメージしています。とても可愛いカードになりました。移転開館日の2020年10月25日から来年2021年12月26日(年末の最終開館日)までお使いいただけますので、たくさんご来館くださいね。「工の芸術」展は年間パスポートでご覧いただけますので、招待券はご家族やご友人にプレゼントして一緒に展覧会を見に行くというのも楽しいですね。
※国立工芸館では、新型コロナウィルス感染症感染予防対策として、事前予約制を導入します。お出かけになる前に、国立工芸館のウェブサイトでご確認くださいますようお願い致します。(予約の際、「チケットの選択」におきましては、「観覧無料又は割引対象の方」をお選びください。)

事前予約について
 

30. 国立工芸館の開館まであと・・・

春にスタートした本プロジェクトも、長い梅雨を経て、猛暑の只中でご支援の募集を終了し、季節は秋に移り変わりました。国立工芸館の開館もいよいよ来月となりました。開館まであと26日です。

下の写真は先日作成された、国立工芸館の移転と開館をお知らせするチラシ(左:表面、右:裏面)です。とても爽やかでキレイなデザインですよね。「皇居のほとりから、工芸のまちのなかへ」というフレーズも素敵です。皇居のほとりを離れることに対しては、多くの方からの惜しむ声がありました。こんなにも愛されてきたのだ、工芸館は・・・と感じました。同時に、本プロジェクトを通して、金沢での開館を待ち望む声もたくさん受けました。惜しむ声、喜ぶ声、どちらも工芸や工芸館を愛してくださる皆さまの声。これからも工芸館は、皆さまの工芸愛にお応えできるような活動を引き続き展開してくれることと思います。

該当コースにご参加くださった皆さまには、近日中に「国立工芸館石川移転開館記念展I 工の芸術-素材・わざ・風土」の観覧招待券と国立工芸館年間パスポートをお届けします。開館しましたら、ぜひ新しい工芸館を体験してください!

29. オリジナルデザインの豆皿が完成しました!

クラウドファンディング限定、オリジナル豆皿が完成しました!!該当コースにご参加くださった皆さまのお手元には、すでに届いているかと思いますが、いかがでしたか?
今回のレポートでは、クラウドファンディング限定オリジナル豆皿ってどんなデザイン?コンセプトは?などなどをお伝えします。
 
国立工芸館では、このたびの石川移転を機に、一筆箋やエコバックなど、オリジナルグッズを企画しているそうです。そのデザインは、国立工芸館のロゴタイプを制作したUMA/design farm さんによるものなのですが、なんと、クラウドファンディングの豆皿のデザインも、UMAさんが監修してくださいました!!すごい!そして、お皿本体の制作コーディネートは、美濃焼「大雲窯」の加藤三英さんにお願いしました。工芸館の学芸員の野見山さんが、UMAさん、加藤さん、さらにさらに、後ほどご紹介する江戸小紋の名匠とタッグを組んで豆皿の制作を進めてくれました!クラウドファンディングオリジナル、非売品です!



それでは、デザインやコンセプトについて、ご紹介したいと思います。工芸館の野見山さんにインタビューしました。
 
★デザインの肝
国立工芸館が今制作を進めているグッズと足並みを揃え、「工芸館らしさ」を出しつつも、他のグッズやビジュアルの「考え方」と一貫性をもたせたいという思いでデザインしました。
 
では、この「考え方」とはいったいどういうものでしょうか?
★大切にしたい「考え方」
工芸館の建物や、特定の所蔵作品をモチーフにするというよりは、工芸の産地や、多ジャンルの工芸からエッセンスを抽出し展開する、という「考え方」で制作を進めています。これは、国内外の工芸を網羅的に見るという工芸館の姿勢にも共鳴することだと思い、大切にしたいと考えています。工芸において、技術や素材の知識はとっても重要な要素なので、そこにも着目しています。
 
なるほど。多ジャンルの工芸作品を所蔵する工芸館ならではのお考えですね。本プロジェクトを通して、工芸素人の担当は、ジャンルの多さにも驚きましたが、ひとつのジャンルの中でも、みんな違うんだということに、さらに驚きました。「陶芸」と言っても、作家さんひとりひとり、みんな違う、プロセスやつくり方、材料、色も形も重さも、みんな違う。そのことに驚きました。
 
この「考え方」を豆皿にどう展開するか、野見山さんが語ってくれます。
★豆皿にどう展開するか?
まず、手描きの絵付けと異なり、転写の模様だとかなり細かい模様をつけることが可能です。自由度が高くなります。そこに、工芸作品で見られる伝統的な技への何かしらのリファレンスを盛り込みたいと思いました。
そして、焼き付ける模様の色は、美濃焼の豆皿のパキっとした白地と相性がいいもので、と考えました。
これらを総合して、細かさで知られる江戸小紋の伝統的な模様と、国立工芸館のシンボルマークを融合してデザインに展開してはどうか、ということで話がまとまったのです。
 
★模様
「江戸小紋」の名匠、小宮家にご協力をいただきました。小宮家は、初代小宮康助氏、二代康孝氏、三代康正氏と、三代続けて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。今回、こうして小宮家所蔵の型紙から模様をおこすことができたのは、大変光栄なことです。
 
野見山さんが、詳しく教えてくれました。
まずは、今回用いる型紙の選定から始まりました。実際の小紋の型紙から模様を抜き出し、お皿の形状に合うようにアレンジして用いています。「渦巻き」と「切彫り縦枠」、「宇治川」と「十字絣」。「江戸小紋」と聞くと、「極鮫」や「角通し」などの模様を思い浮かべる方が多いと思いますが、実際はもっと様々な模様が存在しています。その多様性を少しでも紹介したく、様々な組み合わせを試した結果、相性の良かったものを選びました。
 
色もクラシックな藍色ではなく、グレーを選んだことで、今っぽい雰囲気が出ていますよね。
渋さの中にも可愛らしさがある、お皿を目にした時、そんな印象を受けました。
 
さて皆さん。2つの模様の間にある白いライン、お気づきですか?
そうです。工芸館のロゴタイプの「工」の縦棒部分です!さりげないけれど、工芸館のオリジナルであることがしっかりと主張されていますね。
そして裏面には、先日発表されたばかりの「シンボルマーク」が入っています!このシンボルマークのデザインは、ロゴタイプと同じUMA /design farmによるもので、ロゴタイプの「工」の余白部分をかたどっているそうですよ。
シンボルマークの下には、「2020」の文字が。「クラウドファンディング」というワードを入れてほしかった担当なのですが、豆皿なので、スペースに余裕がなく、野見山さんのアイデアでお熨斗に入れてもらうことになりました。この熨斗もまた、さすがです、可愛い!「石川移転開館記念 クラウドファンディング 御礼」の文字が入っています。とても良い記念になったと嬉しくなりました。
お手元に届いた皆さま、どうか末永くお使いくださいませ!皆さんがそれぞれどんな風に使ってくださるのか、想像すると楽しい気持ちになります。
 
活動レポートでは引き続き、作家制作の完成品や返礼品、国立工芸館の情報などをご紹介していきます。お楽しみに!

 

28. 完成作品 見附正康 「赤絵細描小紋茶盌」

本プロジェクトのために12名の作家さんに制作していただいている作品を、完成したものから少しずつご紹介しております。今回は、赤絵細描の見附正康さんの作品です。
 
見附さんは、磁器土でつくられた器に、九谷に伝わる赤絵の技術で絵付けをする作家さんです。そして、見附さんが絵付けをする器は、九谷焼の生地師、西田健二さんによるものです。担当が質問をした時に、見附さんは「僕の形をつくってくださる方は」という表現をされたのですが、「僕の形」という表現が、とても素敵だなぁ・・とほっこりしてしまいました。お二人の信頼関係も感じました。以前もレポートでご紹介したように、この磁器土は独特で、薄いグレーをしていて、この薄いグレー色が、見附さんの赤絵に深みをもたらすそうです。
 
今回のプロジェクトのお話をした時に、できれば「普段とはちょっと違うこと」なんてしていただけると嬉しいです、と厚かましくお願いをしてみました。さて見附さん、どんな作品に仕上げてくれたのでしょうか。
 
「いつもは曲面の碗形が多いですが、今回は面取りに。今回の茶碗の形は、特別なものになっています!」と見附さん。「面取りになっている」というのは、多面体になっている、ということです。また、見込み(器の内側の部分)の中も少し外側に沿い、面取りになっているそうです。
なるほど、確かに。見附さんのこれまでの作品を見ますと、多面体の茶碗ってあまりないのですね!ありがたやありがたや~、です。
 
また「絵付は九谷の和絵具もワンポイントに入れてあります。あと小紋の絵付の下に薄いブルーを入れた部分もあります。少し水色がかったところです」と見附さん。
写真でわかりますか?赤色のダイヤ形の模様の中心に、ブルーの和絵具が入れてあります。「宝石を埋め込んだような感じにしたくて」と見附さん。キュートです!また、「小紋の下の薄いブルーは、茶碗では初めてしてみました」そうです。初めてのことまでしてくださるなんて、なんて嬉しいことでしょう! そして今回の絵付けも、見附さん流、気持ちの向くまま自由に筆を動かした見附さんでした。「好きなように描きました!」
 
国立工芸館で10月25日から始まる開館記念展にて、本作品が展示されますので、ぜひ実物を近くで見てくださいね!(裏面の高台の中に、小さく「正康」の「正」を崩したサインが入っています。写真で見えるでしょうか?茶碗の裏は、展示室では見ることができませんから、これはとっても貴重な写真です!)

27. 水口さんの漆器(その3)

前回は、水口さんが「木地から作る作品」の制作についてご紹介しました。とてもたくさんの細かな工程を経て、丁寧に丁寧に時間をかけて作り上げられる作品。水口さんが作品に込める愛情を感じました。今回は「乾漆」の工程をご紹介します。
 
今回は、水口さんの乾漆(かんしつ)の作品制作について見ていきましょう。乾漆とは、石膏などの型を作り、麻布や和紙を漆で塗り重ね素地を作る技法です。奈良時代に中国から日本に伝わり、仏像や観音像など彫像制作に使われ流行しました。

まず、原型を作ります。原型を作るために、石膏で雌型(原型の型。安藤さんのレポートで詳しく説明しています)を作ります。石膏の塊を小刀で削ったり、粘土(油土ゆど)で作ったりすることもあります。雌型にシリコンを流してシリコン型を作ります。シリコン型は、石膏と違い、何度も使えるので、銘々皿など複数の型が必要な時に向いています。

続いてシリコン型を石膏で包んで型を作ります。その型に漆と麻布を数回塗っていきます。

石膏型を壊して、素地を取り出します。素地に塗りを施します。塗っては研いで、を繰り返し作品が完成します。


黒色は、漆の中に鉄粉を混ぜてひと晩寝かし濾すと化学変化で黒い漆になります。赤・黄色は辰砂(しんしゃ)という顔料を混ぜます。辰砂は水銀硫化物、賢者の石と呼ばれたこともあるそうで、真っ赤な色を出します。水口さんの作品は、色がとても綺麗です。どうやってこんな色を出せるのかなと思い聞いてみました。

「朱の色は学生時代にはもっとボンヤリしていました。寝朱(ねしゅ)といって顔料と漆を合わせてから時間が経ったもの、寝かせたものを混ぜると鮮やかな色が出ると習いましたが当時はそのようなものは持っていないわけで。今は継ぎ足し継ぎ足し使っていて、ある時から鮮やかな朱の色が出るようになりました。いわゆる焼鳥屋さんのタレのように、完全に使いきる前に新しい漆を合わせています。」
 
水口さんにお会いして、お話を伺っているうちに、担当も暮らしに漆の器を取り入れたいなという気持ちになりました。漆の器はとても丈夫だそうです。そして、何年か経って漆が剥げてくれば、作家さんは塗り直してくださるそうです。作家さんと長いお付き合いができることも魅力のひとつですね。
 

27. 水口さんの漆器(その2)

前回は水口さんが木地をデザインするところから、とても大事な作業「コクソ彫り・コクソ掻い/埋め」の工程までをレポートしました。今回は、次の工程「布着せ」から最後の工程「上塗り」までをご紹介します!
 
布着せ
椀の壊れやすい部分を補強します。口縁にぐるりと麻布を漆で貼ります。布着せをしたら、麻布の部分と木地の境目に段差ができないよう、小刀で削って滑らかにします(着せもの削り)。高台と中底にも布着せをします。



惣身(そうみ)付け
着せもの削りが終わったら、布着せした部分と木地との境目をなくし全体を平らにするため、ヘラを使って木地全体に惣身漆を塗ります。惣身漆は、惣身粉と漆を混ぜたもので、惣身粉は、木地を挽く時に出る木屑粉を焼いた粉です。乾漆の目摺りにも使います。

一辺地下地→二辺地下地→三辺キリコ地
続いて、生漆と米糊と「地の粉」を混ぜた下地漆を塗っていきます。地の粉の粒子が粗いものから細かなものへと変え、下地塗りを重ねます。これを一辺地下地、二辺地下地、と呼びます。この作業により器を堅牢にすることができるのです。一辺地、二辺地と下地塗りを重ねたら、次は三辺キリコ地です。「キリコ」は漢字で「切粉」と書きます。キリコ地には、一辺地、二辺地に入っている米糊が入っていません。
 
さらっと流しましたが「地の粉」って何?ですよね。プランクトンの死骸が堆積してできる珪藻土を蒸し焼きにして粉砕して粉状にしたものを地の粉といいます。能登地方は日本有数の珪藻土の産地だそうで、輪島塗では「輪島地の粉」を使います。能登半島の小峰山に「地の粉山」というところがあり、地の粉工場もあるそうです。地の粉山では毎年1回、地の粉を発見した先人たちと輪島塗を育んできたすべてに感謝し、輪島塗のさらなら発展を祈る漆祖祭(しっそさい)というお祭りを行っているそうです。発見した先人に感謝するなんて、素敵ですね。
ちなみに水口さんは、輪島にある漆芸技術研究所で漆の技術を学び、その後、輪島の漆芸作家に弟子入りしてさらに研鑽を積みました。
 
地研ぎ
下地塗りが終わったら、砥石を使って、全体を研ぎます。地研ぎはなんのために行うのですか?という担当の質問に水口さんが答えてくれました。「平滑な面や角を作るためです。また地研ぎが最もシビアに研ぐ工程なので、ここで仕上がりの形が決まると言っても過言ではありません。」仕上がりを左右する大事な工程なのですね。1つの作品をつくるために、大切にたくさんの手がかけられている。大事に使わないといけないですね。おっと。ここで終わりではありません。まだまだ私たちの目には見えない工程が続きます。
 
中塗り→キズみ→中塗り研ぎ→中塗り2回目
中塗り漆を刷毛で塗っていきます。中塗り漆というのは、下地で用いる生漆を精製して水分量を減らしたものだそうです。この中塗りのポイントを水口さんに聞きました。「中塗りの工程はしっかり地研ぎができているかが肝です。地研ぎが甘いと中塗り研ぎで下地が出てきてしまいます。」とのこと。地研ぎがいかに大切か、この工程でもかかわってくるのですね。
 
ふきあげ→上塗り
漆塗りの「ふきあげ」とは、上塗り前の最後の研ぎのことです。研ぎ炭を使って丁寧に研ぎ上げます。ふきあげが終わると、いよいよ最後の工程、上塗りです。水口さんは、油の入らない漆、日本産の上塗り漆100%を使用しているそうです。
 
いかがでしたか?こんなにたくさんの工程を経て、やっとひとつのお椀ができるのですね。次に漆のお椀を手にした時、作家さんがかけてくれた手間と時間を想像しながら、じーーっと見つめてしまいそうです。
 
今回はここまで。その1、その2では、「木地から作る作品」の制作についてご紹介しました。最終回その3では、水口さんの「乾漆」の技法をご紹介します。お楽しみに!
 

27. 水口さんの漆器(その1)

水口さんは髹漆作家さんです。髹漆(きゅうしつ)とは、箆(へら)や刷毛(はけ)を使い、漆を塗る、素地の造形、下地、上塗り、仕上げなど、すべての工程を漆塗だけで作品を仕上げる技法です。作品の雰囲気と同じく、水口さんはとても優しくやわらかな方です。そんな水口さんの制作をレポートします。水口さんが醸し出す柔和なオーラも皆さんにお届けできればいいなと思います。
 
プロフィールにもあるように、水口さんは乾漆の技法を使い仕上げる作品と、普段使いの器の両方を作っています。乾漆(かんしつ)とは、石膏などの型を作り、麻布や和紙を漆で塗り重ね素地を作る技法です。奈良時代に中国から日本に伝わり、仏像や観音像など彫像制作に使われ流行しました。
 
では、水口さんの作品ができるまでを一緒に見ていきましょう。
 
木地のデザイン
お椀の場合、形、丸み、寸法を細かく描いた製図を基に挽物師さんに挽いてもらいます(「挽く」とは、ロクロで成形することです)。実際に形になった木地を水口さんが見て微調整をお願いし、「これ」という形になったら、いくつか作ってもらいます。
製図を作成するために必要であれば、スタイロフォーム(目の細かい発泡スチロール)や石膏でモデリングを行うそうです。「頭の中のイメージで製図をひいても、それが立体になると、思っていたようにはならないもので、順番としては木地師さんにお願いする前段階で何度もモデリングを重ねて出来た形を製図に写し取るという感じです」と水口さん。頭の中にある三次元のものを、二次元の紙の上で表現し、それを基に三次元で表現する、、、ということですから、確かに難しい作業ですよね。

木地固め
これをするかしないかで、後がまったく変わってくるそうです。木地固めをすることで、変形しにくくなったり、割れにくくなったりします。木地固めというのは、具体的には、木地に漆を塗ることです。(右の写真)
 
コクソ彫り・コクソ掻い/埋め
木地は文字通り、木を切って作ります。幹を水平方向にスライスする、木目に対して平行に切り出すことを「縦木取り」、幹を垂直方向にスライスする、木目に対して直角に切り出すことを「横木取り」と言います。水口さんの椀は、歪みやくるいが生じにくい「縦木取り」です。木地は長い年月の中で微妙に動いたり痩せたりしますが、木地にある節は硬くて痩せないため表面に影響を及ぼします。そのため、木地の段階で節を削り、コクソ(木屑と漆を混ぜたもの)を埋めて補強します。とても大事な作業です。
 
手にした時、器の表面にはあらわれてきませんが、美しい器の表面の下には、様々な手がかけられているのですね。
今回はここまで。次回は「布着せ」の工程から、最後の工程「上塗り」までをレポートします。お楽しみに!
 

26. 今泉さんの「窯変ぐい吞」(返礼品)

国立美術館のクラウドファンディング「ぐい吞み?ゆのみ?コース」の返礼品、今泉毅氏の「窯変ぐい吞」が完成しました!
 
本プロジェクトのために作家さんたちに制作いただいている作品は、金沢の工芸館に直接届けられますが、返礼品は東京の担当のところに届き、担当から参加者の方々にお送りしています。そのため、誰よりも早く、担当が返礼品を目にするという幸せ。。。(皆さまスミマセン)
今泉さんから届いた箱を開け、ぐい吞を目にした瞬間、「うわ~!めちゃくちゃカッコいい~!!!そして可愛い~!!」と声が出てしまいました。
 
ぐい吞みは、写真から大きさがわかるかどうか、なのですが、手のひらサイズといいますか(直径8センチくらいです)、小さくて本当に可愛らしいです。とっても可愛らしいのに、今泉さんの黒、紺の色と窯変がすごくカッコよくて、絶妙です。
 
器ももちろんですが、箱書きもカッコいい!「窯」の字が、ちょっと「恋」の字にも見えて、ドキドキしてしまいます。作家さんは、筆の腕も鍛えないといけないのですね~。
 
この小さな宇宙に広がる今泉さんの世界。今泉さんの制作の様子を想像して飲むお酒は、いつもよりもきっと美味しいものになりますね。この可愛くてカッコいいぐい吞みを手にした参加者のお一人は、この器で白ワインを飲むそうです。それもまたお洒落でいいなぁと思いました。

活動レポートでは今後も完成した返礼品についてご紹介していきますので、お楽しみに!
今泉さんの制作をご紹介したレポート(No.21)もぜひお読みくださいね。


 

25. 完成作品 三代 畠 春斎 八角隅切釜「律」

本プロジェクトのために12名の作家さんに制作していただいている作品を、完成したものから少しずつご紹介しております。今回は、金工(鋳金)の畠春斎さんの作品です。
 
畠さんの《八角隅切釜「律」》が完成しました!
作品の材質や形がそのまま作品タイトルになることが一般的で、作品に特別なタイトルをつけることはあまりない金工・鋳金の世界ですが、「普段しないこともぜひして欲しい!」という担当のわがままで「律」というとても素敵なタイトルをつけてくれました。
タイトルを聞いた時、恥ずかしながら「息子さんのお名前ですか?」と安直な質問をしてしまった担当ですが、畠さんは「”律”という字には秩序とリズム、硬さと柔らかさが同居したイメージがあるのでタイトルにしました。いつもは副題を付けないので、とても悩みました。」と優しく答えてくれました。
 
「律」を制作するにあたり、畠さんは当初、「筋文(すじもん:筋の模様のこと)を入れる予定でしたが、形で見せた方がより良くなるのではと思い、少しずつ形の調整をしました。」と教えてくれました。「そのせいでずいぶん遅れてしまいました。申し訳ありません。」と、どこまでも謙虚で優しい畠さんでした。(大丈夫です。畠さんは早い方です!)
納得のいくところまで妥協はしたくないという気持ち、さすがプロフェッショナルですね。なんと畠さん、本作品に半年もの時間をかけてくれました。感謝感謝です。

本当に美しい形ですね。展示されている作品は、このように倒して見ることはできませんから、これはとっても貴重なお写真です。畠さん、ありがとうございました!!
 
5月20日付の畠さんの制作レポートでは、畠さんがどのように茶釜をつくるのか、詳しくご紹介していますので、こちらもぜひ!(すでにお読みいただいている方も、完成した作品を見た後では、また違った発見があるかもしれませんね。)
 

24. 完成作品 松崎森平 螺鈿棗「海平らけし」

皆さま、大変お待たせしました。本プロジェクトのために12名の作家さんに制作していただいている作品、完成したものから少しずつご紹介していきます。作品は10月25日から始まる開館記念展において展示されますので、国立工芸館にお越しいただき、ぜひ実物をご覧ください!

1つ目の作品は、松崎森平さんの《螺鈿棗「海平らけし」》です。
松崎さんのインスピレーションの源は観音崎の海。松崎さんはこの地にアトリエを構えています。近くの観音崎自然公園には、太平洋戦争で亡くなり海の底に眠る戦没船員の御霊を慰め、海洋の平和を祈る慰霊碑が建っています。ここに天皇陛下(現上皇陛下)が歌われた御製の碑があります。松崎さんはこの御製にとても感動して、「海平らけし」という言葉がずっと心に残っていたそうです。今回作品のタイトルを考えている時に、「あ、これだ!」と。「愛する観音崎の海と戦没船員の碑、御製碑に敬意を表して」と松崎さん。
 
「平らけし」は平穏であること、無事であることを意味します。松崎さんがこの作品をつくっている時、大好きな観音崎の海と波をイメージしていると言っていました。担当がアトリエを訪れた日も、海はとても穏やかでキラキラと輝いていました。まさにあの時の海がこの小さな棗に再現されている感じがします。
4月20日の活動レポートでは、制作途中の様子をご覧いただけますので、未読の方はこの機会にぜひ!
 
天皇陛下御製(平成4年)
「戦日(いくさび)に逝きし船人を悼む碑の彼方に見ゆる海平らけし」
 
 

23. 受付期間が終了しました!


国立美術館のクラウドファンディング第2弾「国立工芸館石川移転開館記念事業 12人の工芸・美術作家による新作制作プロジェクト!」へのご参加受付が終了いたしました。4月1日から8月11日までの133日間で、ご支援くださった方々の総数は137人、ご支援総額は3,926,000円、目標達成率は130%でした!
 
ご参加くださったすべての皆さま、そしてご関心をお寄せくださった皆さま、応援コメントを投稿くださった皆さま、担当まで直接メールやお電話をくださった皆さまに心から感謝申し上げます。皆さまの存在やお声に大変励まされました!
 
「美術館と来館者」という枠を越えて、一緒に何かを作り上げる仲間になりたいと思い、始めたプロジェクトです。16名の方が第1弾、第2弾と続けてご参加くださったのは、とてもとても嬉しいことです。こうして毎年少しずつ、続けて参加くださる人数が増えるといいなと思います。
 
趣旨に賛同くださり、プロジェクトのために作品や返礼品の制作を引き受けてくださった12名の作家の皆さん、本当にありがとうございました!!予期せぬ感染症の拡大により、すべての作家さんのところに取材に行くことはできませんでしたが、直接お会いしてお話しができたこともありましたし、メールや電話でお話する機会もたくさんありました。皆さんの優しさや温かさ、プロフェッショナルとしての姿勢や情熱にたくさん助けられ、励まされました。そしてとても楽しく仕事をすることができました。どうもありがとうございました。
 
これからも制作レポートや返礼品のご紹介、制作作品のご紹介など、活動レポートを定期的に掲載してまいりますので、ぜひご覧ください。

最後に。日本電子工藝社の武田さん、藤川さん、ヤマノ印刷の皆さん、江戸小紋の小宮康正さん、康義さん、UMA/design farmさん、大雲窯の加藤さん、本プロジェクトに協力してくださったすべての方にお礼を申し上げます。
 
★返礼品について
招待券、年間パス、招待状、記念リーフレット、豆皿、作家制作品は、準備が整ったものから順にお送りします。活動レポートでも制作の様子や発送のお知らせをアップしていきますので、これからもチェックしてください!
 

22. お勧めの展覧会です

現在パナソニック汐留美術館で開催中の展覧会「和巧絶佳」に、クラウドファンディングの参加作家、見附正康さん、新里明士さん、坂井直樹さんが出品しています。
 
見附さんの展示は、びっくりするくらい大きなお皿5点と小さな香合や香水瓶、水注など5点、合計10点です。後ろに回って見ることができるので、見附さんの赤絵細描の技術をじっくりとことん、堪能できますよ!(ちなみに、担当は《赤絵細描小紋水注》にフォーリンラブでした。持ち手について小さな可愛い輪、細部の模様、赤も金もとっても美しいのです。)
 
新里さんは光器と穿器の2種類を出品しています。両者とも蛍手の技法を使っていますが、穿器は釉薬を使っていないため、光器とは印象がまったく異なります。光器5点、光蓋器2点、穿器3点の展示です。新里さんの作品と同じ空間に展示されているのは坂井直樹さんの作品です。新里さん越しの坂井さんという景色。超贅沢です!
坂井直樹さんの作品は、本プロジェクトの返礼品としてお馴染み《「侘び」と「錆び」の花器》や鉄瓶《湯のこもるカタチ》など11点が展示されています。鉄という素材でありながら、繊細で細やか、そして渋くて美しいかっこいい大人の世界が繰り広げられています。
 
9月22日まで開催していますので、お時間のある方はぜひ!!
和巧絶佳展
 
最後に。本レポート掲載に関し、ご協力くださった汐留美術館の岩井様、倉澤様に感謝申し上げます。

21. 今泉さんの天目(その5 後半)

最終回前半では、早稲田大学で陶芸に出会い、その後陶芸家としての道を歩き始めた若き今泉さんをご紹介しました。後半は、初期にどんな作品を作っていたのか、そして今泉さんの陶芸に対する思い、陶芸に向き合う姿勢などをレポートします。
 
陶芸を始めた頃は、どんな作品を作っていたのか、お聞きしました。「サークルの部室の前のスペースで、黒楽の茶碗を作っていました。七輪を2つ、削って合わせて簡易窯を作り、炭を詰め、ドライヤーを鞴(ふいご)にして焼く、というのをやっていましたが、既製品の楽焼き用の釉で焼くのが段々面白くなくなってきてやめました。その後はかなりマニアックな材料が揃っているサークルだったので、大西政太郎著の釉の技法書を読みながら自分で調合して・・・黒織部、織部、黒マット、天目、青瓷、粉引き、炭化焼きしめ、白磁焼きしめなどなど。飽きっぽいのかやりたいことは全部やる感じです。気付けば今やっていることと変わっていません(笑)。学生の頃の調合は雑だったなぁと思います。その頃に比べれば土のことや素材のことが少しはわかってきたかなとも思います。まだまだ分からないことだらけでもありますが。」
七輪で簡易窯を作り、ドライヤーを使って、というエピソードがいかにも学生っぽくて、青春という感じで。すごくいい話だなぁと思いました。そして唐澤課長は「日本陶芸展のグランプリ受賞作がこの黒マットタイプでしたね。学生時代からコツコツと続けていたのですね。今回、初めて知りました。」と感慨深げに教えてくれました。人に見せずにしてきた努力。今回のレポートで多くの方にお見せしてしまいましたね。

今泉さんに興味津々、色々なことを聞いてしまいました。続いては、「どんな気持ちで作品を作っていますか?どんな気持ちでロクロに向かっていますか?」と聞いてみました。「伸びやかに挽きたい、という感じですかね。」と今泉さん。「若い頃は、数モノの仕事(たくさん作る仕事)などで「径何センチで高さ何センチで」ということをやっていた時に、どうしてもサイズ合わせのロクロが窮屈で面白くないという感覚があって。技術習得には必要なのですが。完成品にもそんな感じが出てしまっていたんです。ですので、最近は1個1個、しっかり挽ききろう、伸びやかに挽こう、そんな感じです。」
「伸びやかに挽こう」という表現がとても素敵だなと思いました。窮屈なことも多い毎日、仕事をしていても、ついつい無意識に体が縮んでしまっていることがあります。1回深呼吸をして、伸びやかに、伸びやかに、と体も心も広げてまた仕事に向き合うことが大事かもしれませんね。
そしてこの「伸びやかに挽きたい、という感じ」という今泉さんの言葉を聞いた唐澤課長が言います。「卒業制作展に出品されていた作品がまさにこの印象でした。どうしても上手く挽きたい、バランスよく挽きたいと思いながらも、結果的にかたさが出てしまうものなのですが、土と対話しながら土を立ち上げていた感じがしました。そういった意味では、現在、技術がある分、伸びやかだけれども天目という形に少し縛られている感じがしますね。でもいまは釉薬なのでしょう。釉薬のメドがついたら形にも変化が現れるのでしょうね。楽しみです!」唐澤課長の今泉さんへの期待、大きそうです!
 
人生で、これだ!と思えるものに出会うことができる人は、そんなに多くはいないと思います。今泉さんは大学時代にそれに出会い、今日までそれに心血を注いできたのですね。決して楽な道ではないことは明らかですが、これだと思えるものに出会えた今泉さんを羨ましく思います。今泉さんの「窯変天目」「青瓷」「白瓷」、これからどんな風に変化するのでしょうか。楽しみですね。
 
最後まで読んでくださった皆さんに、今泉さんが大学時代に制作した作品をお見せしちゃいます!七輪楽焼きのお茶碗です。貴重なお写真を提供していただき感激です!現在の今泉さんが見るとこんな感想です。「何かを一生懸命やろうとしている感じが…。」

今泉さんは今回の取材を通して、学生の頃の無駄にやる気のあった感じを思い出したそうです。若い人たちの溢れるエネルギーや、発想を形にするパワーって、まぶしいくらい素敵ですよね。この頃の今泉さんが見て聞いて感じて経験したすべてのことが、今のスタイルに繋がっているのですね。そんな今泉さんが本プロジェクトのために制作してくださる「窯変天目」「青瓷」「白瓷」の3作品は、国立工芸館の開館記念展でご覧いただけます。皆さんぜひご来館くださいね!!
 

21. 今泉さんの天目(その5 前半)

4回にわたり、今泉さんの制作について一緒に見てきました。釉の調合や大量のテストピース、ストイックな陶芸家今泉さんはどのように誕生したのでしょうか。最終回前半では、時をさかのぼって、早稲田大学に通う今泉さんに会いに行きましょう。
 
今泉さんが天目を始めたのは、古典の国宝を再現したい、などという気持ちからではなく、流れる黒のやきものを作りたい、という気持ちからでした。「段々理想には近くなってきているのかなとは思います」と今泉さん。では、今泉さんが陶芸を始めたきっかけは、いったいどんなことだったのでしょうか。
 
早稲田大学の政治経済学部を卒業した今泉さんがなぜ陶芸の道に進んだのかを聞いてみました。「大学に行く前から、陶芸家だけではないですが、作家もしくは、ものを作る人になりたいと半分くらい思っていたような気がします。」(あとの半分は新聞記者だそうです!!)早稲田大学の政治経済学部に入ったのは、まず早稲田大学がイメージ的に「何でもできそうだな」というのがあって早稲田に行きたいなと、そして政治学、経済学、社会学系が好きだったからだそうです。
 
早稲田大学に入学し、陶芸サークルの見学に行った今泉さん。そこでなんと、3年生でサークルリーダーをしていた新里明士さんに出会います!新里さんは外のベンチで長石を砕いてフルイにかけるという作業をしていて(今泉さんいわく、地味で、ある意味職人的な作業、だそうです)、それを見た今泉さんは「ああ、なんだか本格的にやっているんだな」と。陶芸にはまってしまったそうです。「そこからは、どっぷり陶芸で…ここまで来てしまいました」と今泉さん。まさに運命の出会いですね!

新里さんが3年の終わりで大学を中退して多治見に行ったことや、青白磁の加藤委さんなどがいる多治見にはかっこいいイメージがあり、多治見に行ったら陶芸作家になれるかなぁという思いで、卒業後に多治見に行くことを決めたそうです。さらに、多治見市陶磁器意匠研究所の卒業制作の講評で、唐澤課長に出会っているそうです!この時のことを唐澤課長が語ってくれました。「卒業制作展の会場での講評会ですね。よく覚えています。卒業制作の場合、研究生の多くは大きな作品をつくろうと無理をする姿を見かけることが多いのですが、今泉さんの場合は、朝顔の花のような小ぶりの作品で自身を表現しようと展示していました。サイズ感で観た人を圧倒するというより、フォルムであったり、クオリティであったりと、いま思えば、陶芸家としてすでにストイックさのような片鱗を窺わせていましたね。今泉さんには「このまま続けられたらいいと思いますよ」と伝えたように記憶しています。その後、日本陶芸展で史上初めて第3部からグランプリを受賞するなど、輝かしい実績を残されています。」今泉さんとの出会いは15年以上前のことなのに、今でも記憶に残っているくらい強い存在感を放っていたのですね。これまた大きな出会いだったのですね。

日本陶芸展は1971年(第1回)から2019年(第25回)まで、2年ごとに開催されました。招待部門と公募部門からなり、公募部門は第1部「伝統部門」(伝統を踏まえた創作作品)、第2部「自由造形部門」(用途にとらわれない自由な造形による作品)、第3部「生活の器部門」(生活の中で用いられる器)で構成。今泉さんは、2009年の第20回において《黒彩ノ器》(5点1組)で大賞・桂宮賜杯を受賞しました。唐澤課長によると、第3部は器でも組み物が多いので候補に出してもグランプリは難しかったのだそうです。今泉さん、すごい!
 
最終回後半では、今泉さんが初期にどういった作品を作っていたのか、そして陶芸に対する思いなどをレポートします。お楽しみに!

21. 今泉さんの天目(その4)

前回は今泉さんの施釉の工程をご紹介しました。今回は最後の工程、本焼きをレポートします。

本焼き
本焼きは色々ですが、1280°Cで22時間くらい焼きます、という今泉さん。どんな窯を使っているのか知りたい!ですよね。またまた貴重なお写真をいただいてしまいました!


今泉さんは電気窯を二基使っています。窯の周りにも、やはり、原料やテストピースがたくさん置かれていますね。ちなみに、大学時代の陶芸部では灯油窯で、岐阜時代はガス窯で色々と焼きましたが、電気窯は細かい温度管理ができるので、今の仕事には向いていると思っています、とのこと。(大学時代、岐阜時代については、次回のレポートをお待ちください~)

電気窯はプログラムで温度推移を行い焼いていきます。後半、900°Cからとか、1100°Cからとか、色々ですが、還元をかける時に、バーナーでガスを入れていくそうです。余談ですが、「(電気なので)自動で焼いてくれます」や「ガスを入れるくらいのお世話です」などなど、今泉さんのコトバのセンスが素敵で担当は心をくすぐられてしまいます。

本焼きが22時間、ということですが、22時間もの長い間、いったい何をして過ごしているのですか?どんなことを考えているのですか?と聞いてみました。基本的には、ロクロを挽いたり、削ったり、何かしら作業をして過ごしているそうです。そしてこれらの作業をしている時には、何も考えていないそうです。というのも、作品でもテストピースでも、考えて考えて準備してようやく窯に入れて、窯から出した後もまたずっと考えることになるので、窯を焚いている時は、ある意味「無」です、と。確かに、常に常に考えることをしている今泉さんにとっては、この窯の時間だけが、唯一考えることをしない時間なのですね。24時間考えることをしていたら、脳が疲れてしまいますよね。

「もちろん、“焼き方”自体や、焼成パターンのテストをしている時には、焼き方をあれやこれや考えてはいます。調合のテストが行き詰った時にやっていることが多いです。その時の一番良い調合を色々な焼き方でテストをします。そういった焼き方のテストが終わってから本焼きはするものなので、その時にはもう「窯に任せる」「焼成のエネルギーに託す」、そんなところです」と今泉さん。またまた表現が素敵・・・

いかがでしたか?今泉さんの制作レポート。担当はお話を伺って、学者、研究者というイメージを持ちました。研究に研究を重ねて幾度もテストを繰り返し、綿密に緻密に計算し、これだというものを窯に入れても、開けるまではどんな作品になっているのかわからない、開けてみたら思い通りのものができているかもしれないし、思いもしない結果が待っているかもしれない、窯の中という見えない時空間ですべてが決まる。今泉さんのワクワクする気持ちが少しわかったような気がします。次回は今泉さんが陶芸家になるまでの道や、陶芸に対する思いなどをレポートします。お楽しみに!
 

21. 今泉さんの天目(その3)

前回は今泉さんの土作りやロクロ成形にまつわる興味深く驚異的なエピソードをご紹介しました。今回は今泉さんにとって一番重要な工程をレポートします。

釉掛け(施釉)
さて。今泉さんにとって一番重要な工程です!
まず釉の調合を考えます。カップに100gで釉を調合します。「長石60%、石灰10%、酸化鉄8%・・・」のように調合するのですが、その割合を様々に変えて焼成による変化を見ていきます。さらに細かい変化を見ていく時は、1%、0.5%=1g、0.5g単位で調合を変えていきます。この調合した釉を盃型のテストピースに掛けて焼いていきます。
盃型でテストをし、このテストでうまくいったものは碗サイズでテストをします。この時は釉を1キロくらい作って作品同様に掛けて焼くそうです。思ったよりも良かったり、思ったよりも悪かったり、光の当たり方や融け方などは微妙なので、サイズが変わるとまた変わってきてしまいます。碗のサイズで成功すれば、作品でもOKということになります。とは言え、その後もどんどん改良版を作ってしまうので、原料もさることながら釉バケツだらけ、3分の1は原料に場所とられているという今泉さんの仕事場の写真がこちら。今泉さんは、調合スペースは汚いので載せて欲しくはないかな・・・とおっしゃっていますが、載せてしまいます!作家さんの楽屋裏なんて、そうそう見せていただけるものではありませんよね。なんて素敵な光景でしょう!

2日間ひたすら調合をし、2日間ひたすら一つ一つ乳鉢で薬を擦る。焼いて、また考えて、調合をし直し、また焼く。そんな一週間の繰り返しを天目でもう6~7年続けているそうです。そんな日々を振り返り今泉さんがお話ししてくれました。「天目の場合、最初のテストは20ピースくらいから始めました。今思えば、かなり大まかな調合でテストをしていたなと思います。その時に焼き上がったテストピースは、黒っぽいもの、金属っぽいもの、模様や結晶が全然ないものなど様々でしたが、その中でも黒にわずかに青を感じられるものがあり、その調合とにらめっこしながら割合を思いつく限り調合してまたテスト。またそのテストピースからより好ましいもの、つまり自分の感覚で「この黒がいい」とか「青黒が出てるな」とか、そういうものをにらめっこしながら調合を考えていく。その繰り返しです。テストの結果からまた考えて、またテストをしてその結果からまた考えて・・・枝がどんどん進んでいく感じで今に至っています。毎度毎度窯を開けるのは楽しいです。」
こういうところが、担当が今泉さんを「研究者っぽい」と思う所以です。

また今泉さんは「師匠や試験場から調合を教わったりしていないので、効率的ではないのですが、ひたすら自力が面白いです。あとから考えるとちょっとしたことでも気が付くのにすごく時間かかったりもしていて・・・。でも教えてもらうより獲得している感覚があって良いです。たとえば半年没頭して追いかけた調合が、作品にした時にイマイチだった…とへこむこともありますが、それはそれでいつか良く見えるのか、良くする方法がわかるのか、無駄でもないのかな、とまた色々やります」と話してくれました。確かに、自分で考えたり探したりして発見した時の喜び、自分でがんばって何かを獲得したり習得したりした時の喜びって大きいですよね。今泉さんの飽くなき探求心、かっこいいですね。

釉の素材について、今泉さんは主に岐阜や瀬戸から取り寄せています。岐阜も瀬戸も大量生産の窯業地のため、美濃産、瀬戸産だけでなく、中国、カナダ、インドなど世界中から集まった材料を手に入れることができるそうで、今泉さんも様々な産地の素材を使っています。

いかがでしたか?今泉さんの釉。今泉さんと釉。釉の調合は、今泉さんにとっては陶芸家として生涯向き合うテーマなのかなと思いました。次回はいよいよ最終工程、本焼きについてレポートします。お楽しみに。

21. 今泉さんの天目(その2)

今泉さんがその調合にたくさんの時間を使い、何度も何度もテストをするという「釉(うわぐすり)/釉薬(ゆうやく)」。今さらですが、釉ってなんでしょう。
釉とは、陶器や磁器の表面に塗る液体または粉末の薬のことで、器を焼いた後にはガラス質になります。釉を塗ることを「施釉(せゆう)」と言います。釉の材料は様々、草木の灰、長石(ちょうせき)や珪石(けいせき)などの鉱石を砕いて水で溶いた灰釉(はいゆう・かいゆう)が最も一般的です。唐澤課長が教えてくれました。「釉薬でもっともシンプルなものが「灰釉」です。やきものの最初の「土器」は野焼きで焼かれました。が、釉薬はかかっていませんね。これは焼成時の温度が低いためです。その後、窯が築かれるようになり、焼成時の温度が高くなりました。燃料となる薪(主に雑木)が焼かれて灰となり、それが窯内の器に付着します。この灰が高温にさらされるとガラス質へと変化し、これが釉薬となりました。灰釉の最初は自然に掛かった灰が釉薬になった「自然釉」と呼ばれ、偶然の産物だったのですが、それを見た陶工が、施釉方法を編み出し、必然にしていったのだと思います。強度があり、水が漏らない器の方が便利で長持ちしたからでしょうね。」なるほど~!この世に存在する多くのものが偶然の産物。釉薬もまたそのひとつだったのですね!そして今泉さんはこの偶然の産物をこれだと思える結果に出会えるまで、気が遠くなるほどのテストを繰り返し、、、おっとっと。今回はここまで。詳細は次回。
さて、『工芸館名品集-陶芸』によりますと釉薬は「素地を液体および気体に対して不透過にし、強度を増し、美観を与える。珪酸、アルミナ、アルカリを高温で生成反応してできる珪酸塩化合物に媒溶剤を配合し、800-1100°Cで焼成される低火度釉(ソーダ釉、鉛釉)は主に陶器に、1100-1400°Cで焼成される高火度釉(灰釉、石灰釉)は磁器、炉器、陶器に施される。」そうです。。。うーん、難しいです。

土作り
今泉さんは、現在、主に4種類の土を使っています。「すべて美濃の土です。天目用の焼きには、強い黒土を。これは本焼きレベルで2~3回焼くので、焼きに耐えられる質のものです。青瓷用には2種類、釉との反応性のよい、よく焼けるものを使い、釉との相性を見ながら合わせます。白瓷用には白土を。これは陶土なのですが、長石釉をかけて焼くと白さの感じが良く、気に入っています」とのこと。ここで、土について、唐澤課長のプロフェッショナルなコメントを2つご紹介。
―「強い」と「黒土」は、実は反比例の関係なのです。土が黒いということは、土の中に鉱物が沢山含まれていることになります。鉄分が最も多いと思いますが、この鉄分が入ると土は溶けやすくなります。溶けやすいということは強い弱いでいうと、弱いことになります。ですから黒くて強い土をつくるだけでも大変なことだと思いますよ。―なるほど。今泉さんはサラッと「強い黒土を」と言っていますが、その黒い土を強くするために、たくさん努力されているのですね。黒い器を作るのって、実はかなり大変なことなんですね。これからは黒い器を見る目が変わりそうです。
土についての2つ目のコメント。―青瓷(青磁)については津金さんのレポートの中でも紹介したと思いますが、釉薬の厚みによって色合いが変わってきます。黒い土を使う場合には釉薬を厚く掛ける必要が出てきます。厚く掛けると重さが出てきます。その重さにも土は耐えなくてはいけなくなります。
さらに唐澤課長は続けます。「天目、とくに曜変を目標に作品づくりをしている陶芸家の中には、日本の土だけでなく、それこそ曜変や建盞がつくり出された建窯の土を取り寄せている方もあります。今泉さんの場合は、曜変や天目の再現ではなく、古典から学びつつも自身の天目をいかにして生み出すかを考えているので、美濃の土を使って独自のアプローチをしているのだと思いますよ。」ひとりひとりの作家さんとじっくりと向き合っている唐澤課長ならではの発言です。

ロクロ成形⇒削り⇒素焼き
土作りを終えたら、ロクロを使って成形します。多い時には1回のテストで100を超えるピースを作ることもあるという今泉さん、100ピースを作るのにはどのくらいの時間がかかるのか、お聞きしました。盃型で作り、削りはなし、「挽きっぱなし」で1時間30分くらいかかるそうです!!1時間30分、ずっとロクロと向き合い、ひたすら作る。。。すごい集中力です!
50ピースくらいで調合を考え準備をしていたら足りなくなって、急きょロクロで挽き足すこともあるそうですよ。テストピース、これだけ量が多いと乾かすのも大変、ひと苦労だそうです。作品を作る時には絶対にやりませんが、テストピースに関しては、お天気が良い時には外に干して扇風機をあてて、急いで乾かして、午前中に挽いたものを夕方焼く、ということもあるそうです。では、作品を作る時にはどんな感じでしょうか?盃などの小物は1日くらい乾かして削る、茶碗などは2日乾かして削る、大きい物は4~5日かけてじっくり乾かして削ります。今泉さんの作品は、基本的に薄づくりなので乾燥は早いそうです。その後は、3~4日乾かして素焼きに入ります。800度で8時間くらい焼きます。

唐澤課長が言います。「陶芸家によって、テストピースの形は様々です。釉薬のテストだけであれば、板状や棒状のピースを作り、それに施釉して焼成すればいいのです。が、今泉さんの場合は、形状と釉薬の関係も重要となるため、盃型が必要なのだと思います。色合いを見る、質感や厚みを見るだけではなく、融けて流れる中での色合い、その時にどのように表面が変化するのかなども見ていく必要があるからでしょうね。
「青磁(青瓷)」で優品を数多く残した岡部嶺男(1919-1990年)もテストピースは盃型を採用していました。厚く掛けた釉薬がどのように流れて色合いを生み出すのか、どのような流れ方をして、高台の近くで止まるのかなど、形状とのマッチングをとても大切にしたようですからね。盃型はまさに天目型を小さくした形ですから、その形での色や質感、表面の変化が見られれば、天目型での変化も想像ができるのでしょうね。」なるほど。すごくよくわかりました。工芸素人の担当のために、いつもわかりやすく説明してくれる唐澤課長です。

今回はここまで。次は今泉さんにとって一番重要な「釉掛け」の工程を詳しくレポートします。お楽しみに。

21. 今泉さんの天目(その1)

伝統工芸の世界。先祖から代々それを受け継ぐ作家さん、ある日それに出会ってその道に入る作家さん。今泉毅さんは、早稲田大学の政治経済学部を卒業した後、陶芸の道に進んだ作家さんです。お話を伺っていると、学者や研究者っぽい側面がありとても魅力的です。
早稲田の政経を卒業して陶芸家に??興味深いお話しは最終回にとっておきましょう。

さっそくですが皆さん、「ようへんてんもく」と聞いてどんな漢字を思い浮かべましたか?恥ずかしながら担当は今日まで「ようへん」に「曜変」と「窯変」の2つが存在することを知りませんでした。「曜変」と「窯変」の説明を始めると長くなってしまうので、まずは「天目」から。
器の胴の部分が下に向かってすぼまっていて、小さな高台(こうだい)がついている茶碗を「天目茶碗」と言います。鎌倉時代、中国の浙江省天目山を訪れた日本人の僧が持ち帰った茶碗が天目と呼ばれ、同じタイプの茶碗を天目茶碗と呼ぶようになったそうです。この頃の日本では、中国の文化芸術が尊ばれ、中国の工芸品を「唐物」と呼び大切にしていました。茶の湯が生まれたのも、この時代です。今日では、「天目」は黒釉のかかった焼き物の名称として使われています。

「曜変」と「窯変」
宋代の建窯(けんよう)で焼かれた黒釉茶碗で、茶碗の内側にたくさんの斑文が散り、斑文を取り巻くように瑠璃色の光が放たれたものを「曜変天目」と言います。「窯変」と記されていましたが、キラキラと星や虹のように輝く斑文から、光り輝くことを意味する「曜」の字があてられるようになったそうです。曜変天目は偶然の産物とされていて、作り方はいまだにわからないそうです。日本にはこの曜変天目茶碗が3点あり、すべて国宝に指定されています。世界でも完全な形で現存する曜変天目は、静嘉堂文庫美術館(東京)、大徳寺龍光院(京都)、藤田美術館(大阪)が所蔵する三碗だけだそうです。すべて日本にあるなんて驚き。すごいですね。

さて、さらっと流してしまいましたが、建窯(けんよう)は中国福建省建陽県にあった陶窯です。建窯で焼かれた黒釉茶碗のことを「建盞(けんさん)」と呼びます。唐澤課長は実際に建窯を訪れたことがあるそうです。「建窯では、宋の時代から現在まで建盞が作り続けられています。焼き損じを捨てた場所を「ものはら」といいますが、建盞を焼いた場所は見渡す限りものはらですよ。」と教えてくれました。下の写真は唐澤課長が建窯で撮影したものです(2015年2月末)。こんなに広大で高い山ができるには、どれだけの焼き損じが捨てられてきたのでしょうか。(右端に見える黒い3つは、3人の人です。この場所の大きさがわかるでしょうか。)

そして「窯変」とは、窯の内部で器に生じる予期しない変化のことで「火変わり」とも呼ばれています。窯の温度や炎の性質、酸素の量、釉薬の性質や含有物などの化学変化で、焼き上がるまではどんな色や相になるのか、わからないそうです。今泉さん、窯を開ける瞬間は毎回楽しいそうです。
「窯を開ける瞬間は毎回楽しい」と似た言葉をイギリスの陶芸家、ルーシー・リーも語っていますよ。と唐澤課長が教えてくれました。陶芸家は皆さん、この瞬間がたまらないのかもしれないですね!

今泉さんは、この「窯変天目」を主に制作しています。他にも、今回のプロジェクトで制作をお願いした「青瓷」や「白瓷」も作っています。それぞれ異なるタイプの作品を作るのは、楽しそうですね。見る側も、作品を通して今泉さんの色々な顔を楽しめますね。

では、今泉さんはどんな風に作品を制作しているのでしょうか。一緒に見てきましょう。作業工程は、ロクロ成形→削り→素焼き→釉掛け→本焼きという流れで「特別な作業がある訳ではなくオーソドックスな感じです。その分、準備段階に時間がかかっているのかなと思います」と今泉さんは言います。

準備段階に時間がかかるというのは、今泉さんの場合、テストを何度もする、という意味です。「青瓷、天目ともに土と釉(うわぐすり)の融合といいますか、土と釉があいまったところでヤキモノとして成立するので、どう焼けるのか?というのを延々とテストし続けています。テストピースを並べ、見続け、次の調合を考える…そういう時間が長いです。」下の写真が、そのテストピースです。すごい数ですね!!これを見続け、考え続けるのですね。今泉さんの脳内をちょっと覗いてみたいですね。

今回はここまで。第2回と第3回は、今泉さんが全身全霊で向き合っている釉について詳しくレポートします。お楽しみに。
 

20. 国立工芸館の中を覗いてみると・・・Untitled (13-09-04)

秋の開館を前に、国立工芸館のエントランスに一歩足を踏み入れてみましょう。
自動扉が開くと、目の前にどーん!とそびえる巨大な作品が。これは、陶芸家の金子潤氏が2013年に制作した陶作品です。タイトルは《Untitled (13-09-04)》。高さが3メートルを超える大きな作品です。作品の前に実際に人が立ってみるとこんな感じです。(左から見附さん、新里さん、唐澤課長、須田さん、なかなかない貴重なショットです!ご協力ありがとうございました。)


巨大な陶作品の制作は、ひび割れや変形が生じやすく、成形、焼成などの各工程において、極めて高い技術が要求されるそうです。この作品は、複数のパーツを組み合わせたものではなく、「紐づくり」という技法による「一体成形」で、巨大な窯を使って焼成するそうです。「紐づくり」とは、粘土を紐状にし、巻きながら積み上げて形を作る技法で、継ぎ目のない滑らかなボディを作ることができます。

新規収蔵にあたって工芸館は「石川県が九谷焼など有数のやきものの産地であること、また中庭が吹き抜けの大空間であることから、来館者を迎えるにふさわしいシンボリックな大きさをもつ本作品が選ばれた。上部の青色は空の青を思わせ、胴部のストライプは天からの恵みの雨を思わせる。これらの色は曇天が多く日照時間が少ない金沢の地をイメージして選び出された。中庭のダークグレーの色調の中で、白と青のコントラストがより一層映える作品である。作品設置については金子潤氏に台座の高さや素材について相談のうえ、決定した。」と語っています。
唐澤課長は「晴天の時、雨天の時、はたまた雪の時など、天候や四季の変化によって作品の見え方や印象が大きく変わります。いまは梅雨ですので、上部の青色にも雨垂れができ、それが胴部のストライプと繋がって見えますよ。夏空の真っ青な色がどのように映えるのか、また、冬に、作品の頭の上に雪の帽子をかぶった様子も見てみたいです。四季折々の変化も一緒に楽しんで欲しいですね。」と話してくれました。室内に展示されている作品とはまた違った鑑賞の方法があるのですね。皆さんもぜひ、国立工芸館にお越しの際には、季節、中庭のダークグレーの色調、台座などにも注目して見てみてください!下の写真は、唐澤課長が撮影した雨の日の作品です。確かに、雨垂れがストライプに繋がっていますね!


1942年愛知県名古屋市に生まれた金子潤氏は、大型の陶磁制作の第一人者です。
1963年にアメリカ・ロサンゼルスに渡り絵画を学びましたが、現代陶芸のコレクターと出会い陶芸に魅了され、翌年にシュイナード芸術学校(現、カリフォルニア芸術大学)に入学し、絵画、版画、陶芸を学びました。
1971年には、「現代の陶芸-アメリカ・カナダ・メキシコと日本」展(京都国立近代美術館・東京国立近代美術館)でアメリカの陶芸家として紹介されています。アメリカにわたり10年も経たないのに、アメリカの陶芸家として日本の国立美術館で紹介されるなんてすごい!!
そして、1983年にネブラスカ州オマハのレンガ工場で、陶作品の大きさの限界に挑戦する「オマハ・プロジェクト」を開始し、巨大な〈ダンゴ〉シリーズを完成させました。唐澤課長が「オマハ・プロジェクトで作られた作品のうち1点が山口県立萩美術館・浦上記念館にありますよ。大きな作品なので、オープンスペースに展示してあり、いつでも見られます!」と教えてくれました。なんとなんと、それはぜひ見に行きたいですね。
1984年には、ボストン美術館で開かれた「アメリカ現代陶芸の動向」展において、アメリカを代表する15人の作家の一人に選ばれるなど、活躍を続けます。アメリカという大きな国で、日本人でありながら、「15人の一人」に選ばれるなんて、感動してしまいます。
1990年代以降、高さが2.4メートルの〈ダンゴ〉をはじめ、3.4メートルの〈ダンゴ〉、さらには3.9メートルの〈トールダンゴ〉を制作して話題を集め、いくつかの作品は日本でも展示紹介されました。国立工芸館の中庭に設置された本作品も〈ダンゴ〉シリーズのひとつで、国内の美術館に収蔵される金子作品としては最大級のサイズだそうです。
 
開館前の国立工芸館、中をちょっと覗いてみましたが、いかがでしたか?わー、行きたい!と思っていただけたなら嬉しいです。開館した暁にはぜひこの巨大な作品の前でその美しさと大きさを実感してください。
 

19. 松崎さんの螺鈿しおり(返礼品)

国立美術館のクラウドファンディング、最初の返礼品が完成しました!漆芸の松崎森平さんによる「螺鈿栞」です!
 
下の写真左の作品は本プロジェクトのために制作していただいている棗と同様、「波」をイメージして制作されました。
写真右の作品は「縞」と題し、色とりどりの貝を松崎さんの思いのままに並べています。
それぞれ世界にひとつしかない螺鈿のしおり。
 
先日、ご参加くださった2名の方にお届けしました。お二人がいったい、どんな本にこの栞をはさむのか、ミステリーかな、詩集かな、歴史小説かな、恋愛小説かな、難しい経済の本かな、それとも日記帳なのかな、などなど、想像して楽しくなりました。松崎さんが心を込めて作った栞、大切に使っていただけると嬉しいです。
 
活動レポートでは今後も完成した返礼品についてご紹介していきますので、お楽しみに!

17. 安藤さんの漆器(その6)

安藤さんの漆器制作の様子を5回にわたりレポートしてきましたが、いかがでしたでしょうか。最終回の今回は安藤さんの紙漉きについてレポートします。

楮(こうぞ)の樹皮を一昼夜水につけておきます。原料の楮は高知県産のものを使っています。木から剥ぎ取られた樹皮の状態で仕入れていますが、仕入れの状態にするまでは、生産者により多くの手がかかっています。楮の生産は後継者が不足しているとのこと。担当の実家の周りの景色は、子どもの頃は田畑が広がっていましたが、いつからか宅地となりたくさんの家が建ち、今ではまったく違う町のようで少し寂しくもあります。農業や林業、伝統工芸に携わる方たちの後継者不足の問題は深刻ですね。
樹皮を煮ると灰汁(あく)が出るため、水で洗い流します。また、小さなちりや汚れなども取り除きます。すべて手作業のため、写真の量の楮からゴミを取り除くのに、なんと1週間近くかかるそうです!くらくらしますね。。。安藤さんは言います。「紙漉きはひとりではできず、家族総出で取り組んでいる仕事です」と。ご家族の理解と協力なしではできないし続けられないお仕事なのですね。

ちりを取った原料をたたき棒で丁寧に叩き、繊維をほぐします。これを「打解」といいます。薙刀(なぎなた)の刃先のような刃が複数ついていて、それが水の中で回転して繊維をほぐすビーターという専用の機械を使う場合もあるそうです。
叩いた繊維は、綿のようになります。水とネリを「舟」と呼ばれる水槽の中で合わせます。「ネリ」は、トロロアオイの根からとれる粘液で、繊維をつなぎとめる糊の役割をするのではなく、繊維を水の中に分散させるために入れるそうです。写真上段左は、袋に入れたトロロアオイから粘液を絞っているところです。トロロアオイは、アオイ科の植物で、オクラに似た花を咲かせることから「花オクラ」とも呼ばれるそうです。生産者の高齢化や、栽培や収穫に非常に手間がかかるのに担い手が不足しているなど、栽培している農家さんたちの間でも、後継者不足は深刻な問題になっているそうです。この問題については、紙の業界団体でもなんとかしようと取り組みをしているそうです。
紙漉きの工程に戻ります。叩いて細かくした繊維を舟の中に入れ、櫛(くし)状の道具で均一に分散されるまでよく攪拌します。これを「ざぶり」といいます。〔写真上段中央〕和紙一枚分の材料を舟からバケツに移し、水とネリをさらに加えてちょうどよい状態に攪拌します。〔写真上段右〕
材料が整ったら手早く紙を漉きます。網(あみ)をふたりで持って厚みが均一になるように動かしながら漉いていきます。〔写真下段左〕紙を漉く時のこの道具は、簀(す)と言ったり、簀網(すあみ)と言ったり、単に網(あみ)と言ったりします。漉き方により道具が違うので呼び名が違ったり、産地によって呼び名が違ったり、ただ呼びやすい名前で呼んだり、人それぞれの呼び方があると思います、と安藤さん。安藤さんの所では単に「あみ」と言っているそうです。
漉いた紙を天日に干して乾かします。〔写真下段左右〕よく晴れた日には、半日くらいでも乾いてしまうそうですよ。さあ安藤さんの和紙の完成です!
 
安藤さんの和紙について、唐澤課長からまたまたプロフェッショナルな質問が。「糊漆がしみこみやすいように「フェルトのような感じ」をあえて作っているように思うのですが、和紙でボディをつくる作家さんの多くはこのような和紙を使っているのでしょうか? あるいはその感じの和紙は安藤家独自のものなのでしょうか?フェルトのような感じの和紙は、紙胎をつくり始めた最初のころと今とでは、和紙そのものに変化はありますか?例えば、最初のころは普通の和紙を使っていたけれども、研究を重ねていく中で糊漆がしみこみやすい和紙を漉くようになったとか。フェルトのような和紙を漉くきっかけのようなものはあるのでしょうか?」なかなか長い質問ですね。
安藤さんが答えます。「他の作家さんは吉野の「美栖紙(みすがみ)」を使っていると思います。石粉が入っていて、下地の役割も果たします。表具の裏打ちに使う楮の紙ですが、増村益城先生が使っていたので漆芸の分野では一般的な方法となっていると思います。うちにはもともと紙があるので他の物を使ったことがありません(笑)。竹の簀で漉いて紙床に移す方法は緻密で張りがあって、ツルツルしています。うちのように網で漉いてそのまま天日に干す方法は柔らかく、ざらざら。柔らかいと貼りやすいし、ざらざらしていると貼り重ねの際に食いつきがよいと思います。また、紙胎に使っている紙に漉き込まれた常滑の赤土は淡いピンクの染料として使うのがそもそもの目的です。天日干しの写真からわかるかと思いますが、この大きさ、襖の紙が漉けるサイズです。つまり、うちの紙も美栖紙ももともとは襖のための紙です。美栖紙と同じような機能も持ち合わせているなら、自前で漉けるし、使えばいいじゃないかという考えです。自給自足です。特別なきっかけがあったというもわけではないかもしれません。」
 
いかがでしたでしょうか。6回にわたりご紹介した安藤さんの和紙作りと漆器の制作。
和紙を作るところから始め、和紙と漆を塗り重ねて形を作り、彫った文様に色漆を埋めては乾かし、研いでは漆を塗って艶を出し、やっと完成する安藤さんの漆器。ひとつひとつの作品に、ひとりの作家さんのこんなにも長い時間と情熱が詰め込まれているんだと考えると、作家さんが制作期間中に過ごしたすべての時間、頭や心に描いた思い、そういうものを作家さんと共有でき、愛着も一層強くなりますね。本プロジェクトのために安藤さんが制作する作品、国立工芸館で会えるのが楽しみですね!
 

18. クラウドファンディングの期間を延長します

新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け、国立工芸館の開館が2020年10月に延期されることになりました。そこで、開館まで少しでも多くの方と一緒に国立工芸館の誕生を盛り上げることができるよう、またさらに多くの方に工芸の魅力をお伝えできるよう、クラウドファンディングの期間を8月11日(火)まで延長いたします(※抽選コースを除く)。夏の開館を心待ちにしてくださっていた皆さま、楽しみが少し先に延びてしまいましたが、文化の秋を国立工芸館で一緒に迎えましょう。
活動レポートでは引き続き、作家さんの工房を取材したり、完成した作品や返礼品をご紹介したり、国立工芸館で働く職員たちの声をお届けしたりしていきたいと思っておりますので、すでにご参加くださった皆さまも、これからご参加くださる皆さまも、ご期待ください!国立美術館のクラウドファンディングを引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 
※抽選コース(新里明士 光蓋器コース、見附正康 盃 赤絵細描盃コース、新里×見附コラボコース)につきましては、6月22日(月)をもちまして、受付終了とさせていただきます。作家本人による抽選会を7月初旬に行いますので、すでにご応募いただいた皆さまには、担当から個別にご連絡をさせていただきます。
 
東京国立近代美術館工芸館 プレスリリース「国立工芸館(東京国立近代美術館工芸館)開館延期のお知らせ

17. 安藤さんの漆器(その5)

前回は蒟醤の技法をご紹介した後、安藤さんの制作の裏側や内面を深堀しました。今回は作品の完成までをレポートします。

【加飾 蒟醤】色埋め

色埋めの際には、乾く時間を調節したり、色を混ぜたり、色漆の調合をします。彫りの深さによって色埋めの回数は異なります。この写真の作品は彫りが深いので、20数回の色埋めを繰り返しました。白と青で塗り分けた後に、刷毛(はけ)で二色をなじませます。白から青へ、青から白へとだんだん色が変化するようにグラデーションをつけます。刷毛をぐるっと一周させるぼかし塗で色埋めを20数回施し、色漆が埋まったら、砥石や炭で研ぎます。その後は、胴擦り(細かい砥の粉を用いて磨くこと)や、摺漆(すりうるし:地が透けるくらい薄く漆を塗る方法)を繰り返し、「呂色仕上げ」をして完成です!「呂色仕上げ」は、生正味漆(きじょうみうるし:生漆のなかでも上等なもの)を薄く塗り、何度も磨いて艶を出す技法です。とても時間がかかるけれど、とても美しく仕上がるそうです。
 
さて。研ぎの作業で使われる炭は何種類くらいあるのでしょうか?安藤さんは、アブラギリという落葉高木を原料とする「駿河炭」を最もよく使うそうです。中塗り研ぎと呂色仕上げの研ぎに使います。駿河炭である程度研いだ後に、サルスベリやエゴノキを原料とする「呂色炭」を使い、仕上げの研ぎをします。この工程では、クリスタル砥石というものを使うこともあります。朴炭(ほうずみ)、椿は緻密で固い炭で、蒔絵の時に金粉などの金属粉を研ぐ際に使うことが多いかと思います、と安藤さんが教えてくれました。研ぎの作業の際、今はサンドペーパーや耐水ペーパーを使う作家さんが増えているそうです。上述のとおり、安藤さんは炭を使っています。安藤さんは言います。「確かに今は研炭に限らず代用のものがよく使われますし、私も使いますが、結局は昔から使われているものを使う方がうまくいくことが多いと感じています。道具には大昔の人の苦労や工夫がたくさんつまっているので、先人に感謝しながら大事に使っていきたいですね。もちろん現代の私たちがもっと良い方法はないかと探求する心も同時に大事にしていきたいと思います。」
確かに、普段の暮らしでも、「こんなすごいものをこんなに昔の人が考えて作ったのか!」という驚きは多々ありますよね。
 
唐澤課長いわく、漆芸の作業をする場合、一番大切な漆については、そのプロセスにおいて多くの作家さんが日本産と中国産の使い分けやこだわりを持って作業をされているようです。安藤さんはどうでしょうか。安藤さんは下地には中国産を使い、上塗りや蒟醤の色埋め、呂色仕上げには日本産を使います。「日本産の漆は質が良いと思いますが、中国産も個性の一つだと思っています。産地へのこだわりはあまりなく、なにかと調節ができるので様々な個性があるものをそろえるようにしています。かつて豊田市山間部では良質な漆が採取され、「三河漆」として日光東照宮造営の際にも使われたと記録があります。藤井達吉が小原で活動していたころにはすでに衰退していましたが、漆を植えて三河漆を復活させ、採取した漆で工芸品を作り、産地としての振興を想い描いていたそうです。豊田市では藤井の想いを受けて、工房跡地を整備し、漆の植栽事業を数年前に始めました。地元で採れた漆で作品が作れたらいいなと思っています」と安藤さん。素敵な夢です!唐澤課長も「復興の話はいいですね。他の産地でも色々と動きがあるようです。安藤さんも地元産の漆が使えるようになるといいですね」と言っています。
 
いかがでしたか?5回にわたってお届けした安藤さんの漆器の制作レポート。制作工程における細かい部分の説明や、安藤さんの心の中など、普段表に出さないことを、たくさんお聞きすることができました。
次回は最終回、安藤さんの紙漉きをレポートします!お楽しみに。

17. 安藤さんの漆器(その4)

前回は安藤さんと和紙についての素敵なエピソードとともに、下地の完成までをご紹介しました。今回は作品の完成までたどりつけるでしょうか。
 
【加飾 蒟醤】彫り
下地が完成したら、漆を塗り重ねます。加飾を施す部分は蒟醤剣で彫っていくため、厚みをもたせなければなりませんので、十数回塗り重ねます。
さあ、皆さんお待ちかね。いよいよ「蒟醤」の登場です!!ここから蒟醤の技法により加飾していきます。と、その前に。唐澤課長からとっても興味深い質問が安藤さんに投げられました。「漆を塗った器の表面を彫る技法には、安藤さんが使っている蒟醤のほかにも、「存清(ぞんせい)」、「彫漆(ちょうしつ)」があります。安藤さんは香川でその3つを勉強したと思うのですが、その中から蒟醤を選んだ理由というのはありますか?」確かに、それはぜひともお聞きしたいところですね!安藤さんが答えます。「蒟醤は絵を作っていけるのが面白いと思ったからです。というのは、技法によっては事前に計画したところまできっちりやったら終わりというものがあります。(もちろん必ずしもそうとは言い切れませんが。たとえば田口先生のとんぼの水指では研ぎ出しの加減で絵を作っていると、香川県漆芸研究所の山下義人先生が教えてくださいました。)蒟醤は、例えば色埋めの際に塗りの厚さで回数を調節したり、研ぎ出し具合で調節したりすることによって、表れてくるものが変わってきます。最後まで「作り上げていく」ことができるところ、作りながら進めていけるところ、すべて予定調和ではないところが面白いと思いました。大学時代は愛知芸大で絵画専攻だったので、そう感じるのかもしれません。あまりきっちりした性格でなくて寄り道が好きな所も関係あるのかもしれません。」うーん。担当にはちょっとレベルの高いお話しでしたが、安藤さんが「寄り道好き」なことはよくわかりました!でも、きっちりした性格でなければ、こんなに緻密な制作をこなし美しい作品を生み出すことはできないでしょうから、そこはぐうたらな担当の「きっちり」の感覚とは違うのかもしれませんね。


蒟醤の作業に戻ります。まずは下地に置目(紙に描いた下絵の文様を転写すること)を施します。蒟醤剣(蒟醤で用いる刃物)で文様を彫り、色漆を埋めていきます。蒟醤剣で文様を彫ると、文様の溝ができます。その溝に色漆を塗り、乾かし、塗り、乾かし、と繰り返すと、厚みがついてその溝が色漆でいっぱいになります。こうして色埋めを繰り返し、埋まったら砥石や炭で研いで図や文様を表します。
この写真の作品の場合は、漆を十数回塗り重ねた後に、主に丸刀で彫り、意匠のために丸刀の彫りあとをそのまま残す部分と、「きさげ」という目無し鑢(やすり)や細い砥石で滑らかにする部分とを作っています。安藤さんは角刀や丸刀などを使い分けています。作家さんは基本的に、鍛冶屋さんから刃だけを購入し、自分で柄を付けるそうです。木の柄のほか、皮革を巻きつけることも。作家さんは、それぞれが使いやすいように道具にも工夫をこらしているのです。
 
漆に関してはどうでしょうか。例えば、塗りに使う漆は、安藤さんは普段は漆屋さんから購入するそうです。塗料としての漆にするには、生漆を精製します。ゴミや塵をとりのぞき、「なやし」「くろめ」という作業を経るのですが、とてもとても時間がかかるそうです。「なやし」は生漆を攪拌して成分を均一にする作業です。「くろめ」は天日や加熱などで生漆の中の水分を蒸発させる作業です。安藤さんは塗りに使う漆を購入する際、乾きの早いものがいい、遅いものがいいといったように注文するそうです。使う時にはブレンドして乾く速度などを調整しています。「なやし、くろめを自分でしたことはありますが、これを自分でこなせたら、思うような調合がよりしやすくなるなと思いました」と安藤さん。なかなかできていませんが、挑戦してみたいと思っているそうです。また、安藤さんの作品を見ると色漆の選択に独自性を感じるという唐澤課長。色漆を安藤さん自身が作ったり、色調整をしたりするのか尋ねました。安藤さんは漆屋さんに依頼することもありますが、自分で練る方が調整できるのでご自分でするそうです。また、唐澤課長が指摘する色彩感覚の独自性については、自然豊かな地で育ったことが関係しているのかなと安藤さん。「子どもの頃から混色して色を作るのは好きです。香川の技法は色漆を使うのが特徴ですので、先生方からはちょっとした勘所を学んだこともいきていると思います。」また、安藤さんの奥様もアーティストなのでいろいろと刺激を受けているそうですよ。素敵な関係ですね!

大学時代に専攻した油画の油彩の質感と、漆の質感、似ている点や異なる点はあるのかという唐澤課長の問いには、「双方ともに塗膜は美しいです。違うなと思う点は、漆が持つしっとりとした質感は日本の風土に深く根差していると思いますし、油絵具が持つ透明感はやはり光あふれる西洋の風土で生まれたものだなと感じます。」と答えてくれました。多種多様な人と出会い、国内外問わず様々な土地を訪れ、たくさんのことを見て聞いて話して学んで食べて感じることが、人生を豊かにしてくれる。芸術においても同じなんだなあと思いました。
 
今回はここまで。完成までたどり着けませんでした。次回は「彫り」の次の工程「色埋め」からレポートします。お楽しみに!

17. 安藤さんの漆器(その3)

前回のレポートでは、素地作りまで進みました。プロフェッショナル同士の会話もお楽しみいただけたかと思います。今回は予告通り、和紙と安藤さんの素敵なエピソードから始めたいと思います。
 
皆さん。ここまで何度も「和紙和紙」言ってきましたが、実は安藤さんが紙胎を作るのに使っているこの和紙、安藤さんがご自身で漉いて作っているのです!!安藤さんが語ってくれた安藤さんと和紙のヒストリー、とっても素敵です!
安藤さんが創作活動をしている愛知県豊田市の小原という地域には、いにしえから紙漉きの文化があります。おそらく室町時代の頃に紙漉きが伝わり、農閑期の副業として紙漉きが広まったようで、江戸中期から明治の頃には小原の各地で紙漉きが営まれていたそうです。小原では生活の中で使う紙を漉いていましたが、昭和の頃にはビニールや洋紙などが普及し、和紙の需要は激減、紙漉きを廃業する農家が増えました。そんな頃に小原の土地は工芸家の藤井達吉(工芸館では1997年に「藤井達吉展-近代工芸の先駆者」を開催しています。http://archive.momat.go.jp/CG/fujii.html)と出会います。藤井の指導により、小原の紙漉き農家たちは、工芸作品に使えるような付加価値の高い美術工芸和紙を作るようになりました。その藤井の指導の中に、紙と漆で作る一閑張や張貫、紙胎漆器があったようです。安藤さんのおじいさまは藤井達吉に師事し、紙胎漆器の作家になり、お父様、そして安藤さんへと作家の道が続きました。
安藤さんは、藤井達吉の行為は、現代で言うところの「アートで町おこし」みたいだと語ります。まさにそうですね!衰退する産業に新しい価値を生み出し発展させ根付かせ、村を救った素敵なエピソードです。
 
豊田市には、小原和紙工芸の普及発展を目的に設置された参加体験型の博物館「豊田市和紙のふるさと」があるそうです。県を越えての移動や外出はまだまだ自粛をしなければならない状況ですが、落ち着いたらぜひ訪れてみたいですね。ちなみに、唐澤課長は行ったことがあるそうです!「はがきサイズでしたが紙漉き体験をしました! もうずいぶん前ですけどね。」と懐かしんでいました。
 
安藤さんは続けます。「漆芸の分野において、紙胎で制作をする人はごく少数で、しかも紙を自ら漉くのは手間がかかりますが、紙漉きは地域に息づく文化であり財産であると思っているので、自分で漉いた紙を使っての制作に取り組んでいます。愛知芸大を出た後に漆芸を学びましたが、紙漉きに関しては、まだまだ勉強不足です。ひとりでは難しいですし、家族の協力があってこそできる仕事です。」地域への愛情と文化への敬意、家族への感謝の気持ち、日々忙しく暮らしているとつい忘れてしまう大切な気持ちを持ち続ける安藤さんです。安藤さんの紙漉きについては、最終回で詳しくレポートしますので、お楽しみに!

下地 
さて、素地ができたら下地の作業に進みます。素地を型からはずし、「立ち上がり」と「身」を接着します。ここで唐澤課長からプロフェッショナルな質問が。「接着は「麦漆」あるいは「糊漆」ですか?」前回同様、唐澤課長、このあたりが気になるようです。安藤さんが答えます。「いつも糊漆でやります。麦漆でもやったことはありますが、乾くのに時間がかかります。金継ぎのように、接着する面積は狭いけれど、強力な接着力が必要な時には、麦漆が有効だと思います。この場合はそこまでの必要はないですし、接着の後に紙を貼ったり、段差を埋めるために刻苧(こくそ:漆に繊維くずや木粉を練りまぜたもの)を施したりするので、糊漆で十分だと思います。」


作業を続けましょう。立ち上がりの外径と身の内径がぴたりと合うように微調整します。唐澤課長いわく、漆は乾燥するととても堅くなるため、後で大きく調整・変更することが難しいため、この微調整がとても大切になるそうです。なるほど、ここがずれてしまうと蓋もぴたっと閉まらなくなりますし、大変ですものね。何枚貼ったらどれくらいの厚みになるかは、安藤さんは大体つかんでいるので、大がかりな調節ではなく、立ち上がりの外周をやすりで少し研いだりする程度だそうです。この時、下地をまだつけていないので、容易に研ぐことができるそうです。
「立ち上がり」と「身」を接着したら、荒い下地を作ります。荒い下地は蒔地(まきじ)をします。蒔地というのは、素地に生漆を塗り、乾かないうちに地の粉を蒔いて付着させることです。乾かしたら糊漆と地の粉を合わせたものを箆(へら)で目すり(すり込むこと)します。これが乾いたら、荒い砥石で水研ぎします。
続いて、細かい下地へと進みます。水で練った砥の粉と漆を合わせた錆漆を、箆を使って下地につけて乾します。砥石で平らに、滑らかになるよう研いだら下地の完成です。

さてさてここで担当の師匠、唐澤課長が教えてくれました。漆はそれ自体だけでは塗膜を作るだけですが、漆と別の素材を合わせることで形を作り上げることができます。安藤さんが使っている和紙のほかにも麻布や木綿などを使います。皆さんもお気づきと思いますが、「漆+米粉=糊漆」、「漆+小麦粉=麦漆」、「漆+砥の粉=錆漆」、「漆+地の粉=地漆」、「漆+木粉=こくそ」など、それぞれに呼び名がありますし、用途によって使い分けをしています。

やっと下地が完成したところで今回はここまで。次回はいよいよ「加飾-蒟醤」の工程です!お楽しみに。

17. 安藤さんの漆器(その2)

レポートその1では、原型を作るところまでをご紹介しました。お伝えしたいことがたくさんあって、なかなか進みませんね。では前回の続き、素地を作る工程から始めます。
 
素地
石膏型に和紙を十数枚貼り重ねて厚みが出たら型からはずし、これを素地とします。では、どのように素地を作っていくかを見ていきましょう。
まず、貼った和紙を型からきれいにはずせるよう、離型剤を型に塗ります。離型剤には米糊を使います。塗った箇所がわかりやすく見えるよう、米糊には弁柄を混ぜます。(弁柄って何?と思ったら、津金さんのレポートを読んでみてくださいね。)離型剤を十分乾かしたら和紙を貼り重ねていきます。安藤さんが使う和紙は楮(こうぞ:クワ科の落葉低木)を原料としたもので、愛知県常滑市で作られている常滑焼の急須に用いられる朱泥(赤土)が漉き込んであり、薄いピンク色をしています。これは、朱泥の粒子状のものが漉き込まれる事によって堅牢な素地となる効果があると考えてのことだそうです。ここで唐澤課長が教えてくれました。「泥を漉き込んだ和紙は日本全国にあります。もちろん洋紙にもあります。朱泥はきめが細かい土なので和紙に漉き込むにはうってつけかもしれませんね。泥や、あるいは細かな砂は和紙に限らず堅牢さを出すために工芸の制作過程でよ く用いられます。」なるほど。工芸の世界では「お馴染みの」というわけなんですね。
 
和紙は貼る時に、立体の形には沿わないので、「水切り」して分割します。水切りとは、和紙の切りたい部分を水で濡らし、しっかり湿らせてから手で切る方法で、切った部分に和紙の繊維が出て毛羽立ちます。分割した和紙を、米糊と漆を合わせた糊漆で原型に貼っていきます。形や大きさにもよりますが、十数枚を貼り重ねます。長い繊維が絡んだ紙を漆で貼っていくので、堅牢な素地となり、軽く仕上がるのが紙胎の特徴だそうです。
 
さて、レポート第2回でもまたプロフェッショナル同士の会話をはさみたいと思います。工芸素人の担当には難しすぎますが、担当レベルのレポートでは物足りないよ!という皆さんに喜んでいただければ嬉しいです。
唐澤課長が安藤さんに尋ねます。「糊漆は米糊と漆を混ぜたものとのことですが、小麦粉と漆を混ぜた「麦漆」は使いますか?」安藤さんが答えます。「紙を貼るのに麦漆は使いません。粘りが強くて貼りにくいです。麻布を貼る時の糊漆よりゆるめの米糊で作ります。私が使う和紙は漉いたものを板に移していないもので、表面はツルンとしていなくて漉いたそのままの状態です。父いわくフェルトのような感じ。漆と水分をよく吸うので、ゆるくやわらかめの糊漆でやっています。」再び唐澤課長。「糊漆には砥の粉を混ぜた「錆漆」や地の粉を混ぜた「地漆」は使うのでしょうか?」安藤さんが答えます。「糊漆は米糊と漆と少量の地の粉を合わせて作ります。下地に使うパテ状のものは地の粉がたくさん入っていますが、糊漆には少量です。」うーん。担当にはやはり、レベルが高すぎる会話でした。
 
今度は担当から安藤さんに「和紙を貼り終わった素地が黒くなるのはなぜですか?」と尋ねてみたところ、素地作りに使う生漆(きうるし)は乾くと褐色になるから、ということでした。漆は大別するとふたつに分かれます。紙や布を貼ったり下地や錆を作ったりする下地用の漆「生漆(きうるし)」と、生漆を精製して塗りに使う漆のふたつです。生漆は乳白色をしていて、空気に触れるとすぐに茶色くなっていっていきます。米糊の中の水分と漆の比率が適切だと乾いた時に黒くなります、と安藤さんは教えてくれました。なるほど~、ふむふむ、と納得した担当に、唐澤課長からさらなる情報が。生漆も、塗料となった漆(精製された漆)も、空気に触れると色がつきます。この性質により、真っ白い漆をつくることは極めて難しく、漆の白色にはやや黄色みのあるアイボリーホワイトが多いのです。漆のこと、何も知らずに生きてきました。触るとかぶれる、くらいのイメージしか持っていませんでした。お恥ずかしい限りです。
 
今回はここまで。作業工程のご紹介がなかなか進みませんね。次回は和紙と安藤さんにまつわる素敵なエピソードもご紹介しますので、お楽しみに!

17. 安藤さんの漆器(その1)

ご自身のお仕事を「これほどおもしろいものはないと思っています」と語る漆芸の安藤さんが創作の拠点としているのは、愛知県豊田市の自然豊かな小原という地域です。この地には古から息づく紙漉きの文化があるそうです。和紙と漆で作る「紙胎(したい)」の素地に、香川で学んだ伝統的な加飾技法「蒟醬(きんま)」を組み合わせ、素材をいかしつつモダンで清新な表現を追い求めて作品を制作しています。「表現したいものがあって制作をします。何かを掴んだように感じることもあれば、その一方で思い通りにならないことも多々あります。すると、また挑みたくなります。」と語る安藤さんの制作をレポートします。
 
まず担当はいつものように、「紙胎」とは?「蒟醬」とは?という初歩的な疑問にぶつかります。
「紙胎」は、木型や石膏型に和紙を糊漆で貼り、乾いたらまた貼りと何度も和紙を糊漆で貼り重ねて素地を作る技法のことで、二千年もの歴史があるそうですよ。つまり、私たちが目にしている安藤さんの器は、何枚も重ねられた和紙でできている、ということです!木で作った器に漆が塗られていると思っていた無知な担当は、びっくりしてしまいました。
「蒟醬」は加飾(器の表面に装飾を加えること)の技法のひとつです。蒟醬の他に、加飾には漆絵、蒔絵、螺鈿(らでん)、箔絵、彫漆(ちょうしつ)、沈金など様々な技法が用いられています。先日ご紹介した松崎さんは蒔絵と螺鈿で加飾する作家さんです。蒟醬の技法が日本に伝わったのは室町時代だそうです。蒟醬という技法の名称は、「キンマ」という葉っぱに由来します。タイやミャンマーでは、キンマの葉で檳榔樹(びんろうじゅ)の実と香料などを巻いてかむ習慣があり、次第に、この葉っぱや実を入れる器に施された線彫りの文様や技法の名前を指すようになったようです。
一般的に、漆と和紙でできた「素地の層」がまずあり、その上に漆と地の粉(ぢのこ:珪藻土(けいそうど)を焼いて砕いて粉末状にしたもの)や砥の粉を合わせた「錆(錆漆)」からなる「下地の層」があります。さらにその上に「漆の塗り重ねの層」があります。蒟醬は、この漆の塗り重ねの層を、刀・剣(けん)という刃物(彫刻刀のような道具)を使って文様を彫り、彫った部分に色漆を埋め込み、埋まったら表面を平らに研ぎ出して文様を表す技法です。日本では香川県が代表的な産地で、安藤さんも香川でこの蒟醬の技法を学びました。
 
構想⇒型作り
では、安藤さんの作品制作を一緒に見ていきましょう。まずはどういった形、文様、色にするか、構想を練ります。その構想に基づいて図面を引きます。そして図面を基に、原型を作るための引き箆(へら)を作ります。引き箆ってなんでしょう?後程説明しますね。
冒頭でお話ししたように、安藤さんは漆と和紙を塗り重ねる紙胎という技法で器を作るため、漆や和紙を貼るための土台が必要になります。次はその土台を作っていきます。
まずは粘土で原型を作ります。丸い板を用意して、板の中心に細い棒を立てます。板の上に粘土を盛ります。中心に立てた棒を軸にして、引き箆をくるりと回すと余分な粘土が取れて原型ができます。引き箆は、これから作ろうとしている器の断面図の形に成形した道具です。安藤さんはアクリル板を使い、木の板をつけて使いやすくしています。
漆芸の作家さんは、制作の様々な工程で使う道具を自分で作ったり、市販のものに手を加えて使ったりすることが多いそうです。
原型ができたら、次は雌型(めがた)、雄型(おがた)を作っていきます。原型の周りに囲いを作って石膏を上から流し入れます。石膏が固まったら、粘土を取り去って雌型の完成です。雄型は、石膏でできた雌型の内側に石膏を流し固めて作ります。固まったら雌型を崩して雄型を取りだします。蓋、身、立ち上がり、3つの型をそれぞれ作ります。

雄型というのは、原型と同じ形をした型で、原型は粘土でできていますが、雄型は石膏でできています。雄型という型を作るためには、まずは原型の型を取らなくてはなりません。それが雌型です。(おわかりになりましたでしょうか。担当は最初、頭が???になってしまい、唐澤課長にも安藤さんにも聞いて教えてもらいました。)端的に言うと型作りというのは粘土の形を石膏に置き換える工程です、と安藤さん。

さて、ここからは、プロフェッショナル同士のやり取りをお楽しみください。唐澤課長が教えてくれました。「雌型と雄型では和紙を漆で塗り重ねていく際の厚みが付く方向が異なります。雌型の場合、厚みは内側についていきます。一方の雄型は厚みが外側についていきます。作業をする際に、内側に何層も貼り付けていくのと、外側に貼り付けていくのと、どちらが作業的にやりやすいか、あるいはコントロールがしやすいかだと思います。また、型を外す際、貼り固めたボディの形状によってどちらの工程の方が型から取り出しやすいかも重要になるのではと思います。」そして安藤さんの場合。「雄型に貼っていくか、雌型に貼っていくか、どちらでもいいのですが、完成作品の表面に細かい造形がある場合は雌型です。雄型に紙を貼り重ねていくと形が甘くなってしまい、繊細な造形が活かされないため、雌型に貼っていきます。そういう理由がなければ雄型です。貼り重ねもしやすいですし。凸のものに仕事をするより、凹のものに仕事をするほうが難しいです。では雄型はシャープな形が作れないかというとそういうことではありません。都度手を入れて修正などをしていけば大丈夫です。」
 
素地
できあがった石膏型に和紙を十数枚貼り重ねて厚みが出たら型からはずし、これを素地とします。では、どのように素地を作っていくかを見ていきましょう、と言いたいところなのですが、文字数制限に引っかかってしまいましたので、続きはまた次回のレポートで!お楽しみに。

16. 津金さんの青瓷(その2)

前回は青磁の歴史や「青磁」と「青瓷」の違いなどについてお話しました。今回は津金さんの青瓷の制作についてレポートします。
 
津金さんの青瓷
青磁の色は青灰色が代表的なもので粉青(ふんせい)とも言われます。津金さんは、この色にこだわり作陶を続けているそうです。津金さんは言います。「何よりも大切にしているのは原料の吟味と焼く温度。原料はすべて天然原料の為、調合や焼きの微調整が必要でテスト焼きはかかせません。そうして出来上がった青瓷のレシピを生かすも殺すも造形次第。青瓷のもつ〝品格″を意識しながら古い物を模倣するのでなく自分なりの形を探しています。手間もかかり、苦労の多い仕事ではありますが、不思議と楽しめています。」
青瓷への愛と情熱、そしてお人柄がひしひしと伝わってきますね!!

そんな津金さん、どんな風に青瓷の作品を作っているのでしょうか。お聞きしました。
まずは土作りから始めるそうです。数種類の土をブレンドして、津金さんの青瓷に合う独自の土にします。世界にひとつだけ、津金さんの土なのですね。
そんな津金さんの土は、鉄分量、耐火度、可塑性(かそせい:変形しやすい性質のこと。外力を取り去っても歪(ひずみ)が残り、変形する性質のこと)に留意しているそうです。そして土が釉薬に及ぼす影響は大。
 
土作りを終えたら、ロクロを使って成形します。成形した器は2~3日かけてゆっくり乾燥させます。石鹸より少し硬いくらいのところで削り、変形などの加飾をして造形は終了です。

続いて、造形した器を完全乾燥させ、12時間かけて930度まで温度を上げ素焼をし、2日後に窯から出します。
素焼というのは、粘土の中に含まれている水分や不純物を飛ばすことができ、粘土を焼き締めることができるので、釉薬を使って作品を作る場合には素焼をすることが多いそうです。
   
さあ、いよいよ釉薬を掛けます。器の大きさによって、2ミリ強〜4ミリ強の厚さになるまで数回に分けて厚みをつけていきます。「掛けて乾かす」を4~6回繰り返します。これが青瓷で一番気を使う工程だそうです。
 
ほ~そうですか~、と聞き流した担当に唐澤課長が詳しい説明を。m(._.*)m
作品の色合いは、釉薬だけの色で決まるわけではありません。土の色、釉薬の色、そして釉薬の厚さの関係で決まります。私たちが観ているやきものの色は、厳密に言うと、釉薬の色と釉薬の下にある素地の色とが合わさった色なのです。津金さんの青瓷には、焼くと茶褐色になる素地を使っています。その上に粉青色になる釉薬が掛かっています。釉薬の厚みが薄いと、土の色味が強く出てややくすんだ色合いになります。逆に釉薬が厚すぎると、土の色味が加わらず軽い色合いになります。つまり釉薬の掛け具合によって作品の色合いが決まるわけです。ですから釉薬の厚みに一番気を使う、ということなのです。なるほど~!!
 
さて。津金さんの制作に戻ります。
釉薬を掛けた作品を再度窯詰めします。22時間かけて約1220度まで温度を上げて焼き上げます。焼き上がりは窯炊きごとに微調整をします。そして2〜3日後に窯出しをして完成です!
 
貫入が入るものは、窯出し後に弁柄(ベンガラ)を貫入にすり込み、ここで完成となります。

ほ~そうですか~、と再び聞き流した担当に再びの唐澤課長です。「貫入」というのは、陶磁器の表面に現れたこまかいひびのことです。貫入に色を入れるタイミングも重要で、窯出し後すぐの場合と窯出しから数日経ってからでは貫入の入り方に違いがあるため、雰囲気が大きく変わってしまいます。
窯から出してすぐでは、貫入は少ししか入っていません。時間が経つにつれて細かく、無数に貫入が入っていきます。青磁の場合、約半年後にも貫入が入ったりもします。貫入が入っているところをよく観察すると、色を入れた後に貫入が入ったところもあることがわかりますよ。ただ、ベンガラを入れた貫入はベンガラの色になりますが、その後に入った貫入は色がなく貫入だけ(ヒビだけ)なので、変化といってもあまり気が付かない感じもします。それよりも貫入が入る時に、音が鳴ります。数ヶ月後、貫入が入る際にも、その音を聞くことがありますよ。そういった体験がないとわかりにくいかもしれないですが、びっくりするときもあります。
なな、なんと!!まるで生きているかのよう!!時間をかけて作品の変化を楽しめるのですね。これは一層愛着がわきますね。私も聞いてみたいです。貫入の入る音。
 
ちなみに「弁柄」は、帯黄赤色の顔料のことで、成分はまたまた出ました、酸化鉄!「紅殻」とも。インドのベンガル産のものを輸入したことから「べんがら」と名付けられたそうです。


青磁(青瓷)って、奥が深いのですね。この世界を楽しめる心と眼を持つことができたらかっこいいな~と思いました。
 
こんなにたくさんの工程を経て、ひとつの作品が作り上げられるなんて。作家さんたちが情熱をこめて作った作品。しっかり見ないといけないな、大切に使わないといけないな、と思いました。

16. 津金さんの青瓷(その1)

皆さんの暮らしの中に、青磁の器ってありますか?
担当は自身の家にはありませんが、実家には青磁のお皿や花瓶がいくつかありました。これほど長い歴史を持ち、こんなに大変な工程を経て作られているものとはまったく知らずに生きてきましたし、まったく意識せずに使っていました。
今回は、そんな青瓷の器を作る津金日人夢さんの制作を2回に分けてレポートします。

「青磁」とは?
広辞苑によると、「鉄分を含有し青緑色または淡黄色を呈する釉(うわぐすり)。また、これをかけた磁器。」とあります。科学っぽく説明しますと、粘土や釉薬(ゆうやく)に含まれる微量の酸化第二鉄が、還元焼成により酸化第一鉄に変化して発色し、青磁の青緑色が生まれるということです。
還元焼成・・・?「焼成」というのは、非常に高い温度で焼くこと。「還元」というのは、広辞苑によると、「酸化された物質を元へ戻すこと(すなわち酸素を奪うこと)。」だそうです。つまり、酸素を奪った状態、酸素が足りない、少ない状態でかつ高温で焼くと、不完全燃焼と同じですね、一酸化炭素が発生し、還元反応を引き起こす、つまり酸化第二鉄が酸化第一鉄に変化し発色する・・・
担当の頭では、まったく理解ができませんが、皆さんはいかがですか?

青磁の歴史
さてさて。青磁は紀元前(!!)14世紀頃の殷(古代中国の王朝)が起源とされていて、南宋時代(1127~1279年)に優れたものが多く生まれたそうです。青磁は中国皇帝が宮中で使用する為に焼かれたもので、高貴な焼物として珍重されてきたそうです。「雨過天晴(うかてんせい)」という言葉はご存知ですか?今では「雨がやんで空が晴れる様子から、悪い状況が良い方へ向かうことを意味します。中国の皇帝たちは「雨過天晴雲破処」、つまり雨がやんだ空、雲の間から見える空の青を理想の色、最高の色として、その再現を求めたそうです。ただ、この理想の色を出すことは、極めて難しく、高度な技術が必要だったそうです。
そして日本には、茶の湯が広まった鎌倉時代に青磁の技法が伝播したということなので、青磁はとても長い歴史を持っているのですね!


「青磁」と「青瓷」
冒頭、「青瓷作家の津金日人夢さん」とご紹介しました。お気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、津金さんは「青瓷」の作家さんです。ん?「青磁」?「青瓷」?違いってなんでしょう。
青磁には「青磁」と「青瓷」があります。「磁土」を素材にして作る器を「青磁」と呼び、「陶土」を素材にして作る器を「青瓷」と呼んで分けています。津金さんの場合は陶土なので「青瓷」となり、ご本人も「青瓷」を使っていますね。この区別は近代以降、陶芸家が素材にこだわる中で生まれてきましたが、広く「セイジ」を表現する場合は「青磁」と書くそうです。ただこの分け方も陶芸家によって異なり、陶芸家によっては「陶土」を素材にしても「青磁」とする人もいるので、作品名や活動を紹介する場合は作家さん個人の感覚で使い分けをしているのですね。これからは、あ、この作家さんは「青磁」だ!この作家さんは「青瓷」ね!と小さな発見が楽しみになりそうですし、「なるほど、ということは、素材は磁土だな」など、ちょっとかっこよく呟いてみることもできますね。

今回はここまで。次回は「津金さんの青瓷」の世界を一緒に見ていきましょう。お楽しみに。

15. 畠さんの茶釜(その4)

第1回から第3回までのレポートでは、デザイン案を練るところから、型ひき、ヘラ押し、鐶付、型焼、中子作り、そしていよいよ鋳込み、というところまでをご紹介してきました。第4回の本レポートでは、茶釜の完成までの道のりを皆さんと一緒に見ていきたいと思います。

鋳込み(吹き)
上型に中子を組み込み、下型をかぶせて型を組んで、金具などで上下をしっかり締めます。これを型合わせと言います。坩堝(るつぼ)で溶解した鉄合金を流し込みます。「金吹き」と言われるこの作業は、わずか数秒で作品の出来が決まる最も重要な工程です。その日の天候や気温に最適な温度で素早く注ぎ入れます。


仕上げと着色
1日かけて冷ましたら、金槌を使って鋳型を壊し、中の釜を取り出します。畠さんの一番楽しい瞬間ですね。思い描いた通りの形になっているでしょうか?

釜の中の中子を壊して取り除きます。この作業を「中子を落とす」と言います。中子を落としたら、「バリ」という余計な部分を鑿(のみ)などではつり取り(削り取り)、釜が溶ける直前くらいの温度で炭焼きし、茶釜が真っ赤になるまで焼いて青錆をつけてから着色します。青錆をつけることで表面に被膜ができ、錆止めの効果を生むのだそうです。着色には弁柄を混ぜた漆を使用し、煙が出る程度の温度に熱した釜に刷毛で漆を塗布し焼き付けます。最後に水漏れがないかチェックをし、漆の匂いを取るため炊き込みをして完成です。

デザイン案を練るところから、釜の完成まで、いったいどのくらいの時間がかかるのか、畠さんにお聞きしました。デザイン案は、ラフを何パターンも描き溜め、場合によっては数年がかりで(!!)具体案まで昇華させていくそうです。実際に制作に入ってからはマケットの修正、鐶付やつまみのバランス調整等を経ておおよそ3ヶ月間で仕上がるとのこと。こんなにたくさんの工程と時間を経て、たくさんの材料、道具を使って、ひとつの作品が出来上がるのですね。大切に使いたいですね。

唐澤課長が教えてくれました。釜を風炉や炉にかけて湯が沸くと音が鳴るそうです。釜の底には鉄の板が貼りつけてあるそうで、その数や貼り付け具合によって奏でる音が変わるそうなのです。畠家では、鳴り(鉄の板)を複数個、漆でベタ着けせず隙間が残るように接着します、と畠さん。そうすることにより中で複雑な対流が起きシューシューっと音が鳴るのだそうです。茶釜は目だけでなく、耳でも楽しめるのですね。風流・・・

唐澤課長が茶釜についてこのように言っています。「茶釜はお客様が入る前からお茶室にあるお道具であるとともに、お客様が出た後もお茶室にあるお道具です。亭主の分身のようなものです。お茶室の雰囲気や緊張感を左右する重要なお道具です。」そんなに重要なのですね!!担当は恥ずかしながら、茶釜と聞いて『ぶんぶく茶釜』をイメージしてしまっていたのですが、静謐なお茶室でひとりお客様を待つ茶釜を想像すると、背筋が伸びますね!皆さんもお茶室の雰囲気や緊張感を思い浮かべながら、ぜひ畠さんの茶釜をご覧くださいませ。

紙や砂を使って綿密な型を作る。鋳型をしっかりと作らないと思い通りの釜はできない。だからこそ、時間も手間もたくさんかけて鋳型を作る。でも、鋳型は釜を作るためのものなので、釜ができたら壊される。鋳型と釜は、お母さんと赤ちゃんの関係に似ているような気がしました。 <完>

15. 畠さんの茶釜(その3)

前回のレポートでは、型焼(焼成)までをご紹介しました。3回目のレポートでは、鋳込みまでの道のりを皆さんと一緒に見ていきたいと思います。

型焼が終わったら、鋳型の上と下を合わせて、「毛切(ケキリ)」を揃えます。ケキリとは、釜の胴部分と底部分の合わせ目にできる細い筋のことです。昔は、かまどなどに釜を据えるために羽をつけた釜が主流だったそうですが、今は炉に釜をかけられるようになったため羽が必要なくなり、羽のない釜の方が多いそうです。


中子作り
次は、「中子(なかご)」を作ります。中子って何でしょう。釜は中にお水を入れて沸かすものなので、中はもちろん空洞です。その空洞部分を作るのが中子、です。釜の形を作る鋳型(外型)があり、空洞を作るためにその内側に入る鋳型(中子・内型)がある、ということですね。
中子を作るには、鋳型を作る時と同様に、これもまた砂を作ることから始めます。中子にはガスが抜けやすいよう鋳物土に水を加えた粘り気の少ない中子砂を使用します。
型焼を終えた鋳型の内側に、これから作る釜の厚みの目安になる厚紙を敷いていきます。上下の鋳型に中子砂を詰めます。中子の強度を高めるために、「裏土」(中子砂より粗い鋳物土)と粘土汁を練り合わせ、ガス抜けをよくするために藁などを混ぜた土をつけます。
中子砂の詰まった上下の外型を乾燥させます。乾燥したら、下型の中子を抜き取り、強めの粘土汁を塗って、上型の中子に接着させます。くっついた上下の中子を鋳型から一緒に抜き取ります。できあがった中子をロクロ台にのせ、釜の厚みの分だけヘラで削り落としたら、土離れをよくするために木炭の粉を水で溶いたものを塗布し、炭火などで十分に乾燥させます。
きれいに成形したら、湯の熱から保護したり、焼き付きを防いだりするために、鋳型や中子の表面に塗型材(とがたざい)というものを塗ります。コーティング剤ですね。塗型材の成分は、木炭粉や雲母粉、黒鉛、コークス粉などがありますが、畠さんは黒鉛を使っています。
塗型を終えたら乾燥させ、中子作業は完了です!さあ、鋳込みの準備を始めます。鋳込みとは、溶かした金属を鋳型に流し込むことです。

ここで皆さんお待ちかね、唐澤課長メモです。
茶釜の場合、素材には鉄が多く用いられます。その鉄にも種類があって、大きく分けて、和銑(わずく)と洋銑(ようずく)があります。ちなみに畠さんは洋銑を使っています。洋銑は明治以降に入ってきた新しい鉄です。例えば、「もののけ姫」の一場面にタタラ場というのが出てきますが、あれは和銑をつくっているところですね。和銑は和銑なりの利点があり、洋銑は洋銑なりの利点があり、釜師はそれぞれに使い分けていると思います。


今回はここまで。次回、最後のレポートでは、いよいよ畠さんの茶釜が完成します! お楽しみに。

15. 畠さんの茶釜(その2)

前回のレポートでは、畠さんの茶釜制作の工程のうち、デザイン案を練るところから、型ひきまでをご紹介しました。2回目のレポートでは、型ひきを終えた次の工程から、型焼(焼成)までの道のりを皆さんと一緒に見ていきたいと思います。

ヘラ押し
鋳型が出来上がったら、乾く前に、模様を描きます。鋳型の内側に下絵を描いた薄紙を裏返しに置き、水を含ませた筆で下絵紙を貼り付けます。その下絵をヘラで押して文様を付けていきます。挽きあがったばかりの型は柔らかく、ヘラを押し付けることで模様が凹みます。釜が出来上がると浮彫りのように模様が浮き上がって見える部分になります。私たちが目にする釜の模様は、鋳型にヘラ押しで描かれたものなのですね。


鐶付/(かんつき)
さて。釜にはやかんのように持ち手がついていませんが、風炉から釜を持ち上げたり、風炉に釜を下ろしたりする時、どうするのでしょうか。
釜鐶(かまかん)という一端が切れている輪っかを、釜の胴の両側に付けられた鐶付という穴の開いた部分(耳)に通し、釜鐶を両手で持って、上げ下ろしします。

では、鐶付はどのように作るのでしょうか。まず粘土で鐶付の種型をつくり、軽く素焼きをします。それを粘土と鋳物土を練り合わせたものを用いて原型を抜き、よく焼いてから外型に埋め込みます。畠さんは上型ができた段階でヘラ押しの前に埋め込みます。畠さんは、マケットの段階で鐶付のデザインを決めます。畠さんは、形を中心とした釜作りをしているため、鐶付も全体のバランスを崩さないよう、釜の形に馴染むようなシンプルなものが多いそうです。
鐶付は釜師にとっては個性の見せどころです。釜にとっては見どころとなります。釜の見どころは他にも、姿(形)と肌があります。

型焼(焼成)
ヘラ押しで模様を描いたら、型を乾燥させるためにしっかり焼き締めます。木炭を燃やしていきますが、まずは弱い火力から始め、徐々に強くしていきます。鋳型の表面を炭火で焼くことにより、水分を蒸発させ、型自体を堅牢にします。焼きが足りないと「湯」が流れにくくなるので、しっかり焼き締めます。「湯」とは、鋳型の中に注がれる、溶かした液状の金属のことです。面白いですね。

今回はここまで。いかがでしたか?唐澤課長が「釜を作る工程は、そのほとんどが「凹」の作業になる」と言っていましたが、その通りですね。「凹」の作業、まだまだ続きます。次回は型焼の次の工程からレポートします。お楽しみに!

15. 畠さんの茶釜(その1)

畠さんはお父様もおじいさまも春斎さんです。お父様の二代畠春斎さんに師事して20歳の時に茶釜づくりを始めました。そして2009年に三代目を襲名。おじいさま、お父様から受け継いだ技術を守りつつも、現代の新しい感性で、柔らかさと鋭さが共存する形を特徴とする作品を作っています。畠さんはとても背が高く、とても穏やかです。一緒にお話をしていると、なんだか自然とほっこりしてしまいます。それでは、そんな畠さんの茶釜の制作を一緒に見ていきましょう。
とその前に。茶釜とは。茶の湯に使用する茶道具の一種で、茶を点てる(たてる)際に使用する湯を沸かすための釜のことを指します。

デザイン
茶釜を作るうえで重要なことは、使用する炉や風炉との調和のとれた大きさや形であること。また、柄杓(ひしゃく)で湯を汲むために、口径は10㎝以上必要、五徳(ごとく)に乗せて安定する底の大きさも考慮しなくてはなりません。それらを踏まえたうえで作りたい釜の構想を十分に練り、完成を想定して図面を作成します。畠さんはまず、紙の模型で、これから作る作品のざっくりした大きさや形を確認します。紙の模型で確認したら次は、砂で実寸大の模型を作ります。そして全体的なシルエットを細かく確認しながら形を探ります。頭の中にある形と齟齬(そご)が生じないように何度も修正を重ねます。写真は、畠さんがデザイン案を練っているところです。

ここで担当の師匠、唐澤課長が釜についてわかりやすく説明してくれました。
例えばですが、釜そのものは凸凹の文字で考えると「凸」になります。「凸」を作るためには「凹」が必要になります。この「凹」が型になるわけです。釜を作る工程は、そのほとんどが「凹」の作業になります。でも出来上がった釜は「凸」ですよね。そこで畠さんは「凸」である紙の模型(原型)、そして砂の模型でとことん詰めていくのだと思います。
確かに、釜作りでは、鋳型から取り出すまで、釜をその目で見ることができないですもんね。鋳型の中がどうなっているのか、開けてみないとわからないなんて、ドキドキですよね。
出来上がった釜が思い描いたとおりの形であるために、この工程が、一番時間を要しますし、最も大変で重要な作業なのです。ちなみに、畠さんが楽しいなと思うのは、鋳込んだ後に砂から取り出す時だそうです。

型ひき
釜の形が決まったら、次は鋳型(外型)作りです。釜は鋳型の中に高温で溶かした金属(鉄や銅)を流し込んで作ります。その鋳型を作ります。先ほどの唐澤課長の例えで言うところの「凹」ですね!

まず、図面をもとに、釜の断面の形をした木型(挽き型)を作ります。「土型(つちども)」という素焼きの型枠を用意します。中心にある「鳥目」に木型の回転軸部分を垂直に立てて、「馬」と呼ばれる道具で木型を固定します。木型の把手を型枠の縁に合わせて、木型を回しながら鋳物土を少しずつ塗り付け、粗い鋳物砂から徐々に細かい土を使って型を挽いていきます。
ちなみに、以前は木の板で挽き型を製作していたため「木型」と呼んでいますが、現在は良質の木材が手に入りにくくなったこと、その丈夫さや精密さなど使い勝手の良さから鉄板(1.5㎜厚)を用いているそうです。

鋳型は釜の上部分と下部分、半分ずつに分けて作ります。なぜ半分にするのでしょうか。唐澤課長に聞いてみました。工程の途中に「中子(なかご)」を作るところがあります。(中子の説明は第3回のレポートに出てきます!)中子を作るためには型が大きく開く必要があります。型が複雑で細かくなると、合わせるときにズレが生じてしまうため、一番シンプルな上下に分けるのだと思います。

では、鋳型は何で作るのでしょうか。それは、川砂、粘土、水です。耐火度のある川砂に粘土と水を混ぜ合わせて、一度素焼をします。この粘土水は「埴汁(はじろ/はじる)」と呼ばれています。焼いたものを粉砕してふるいにかけた後、埴汁と混ぜて鋳型を作ります。この鋳物土を「真土(まね)」と言います。そしてこのようにしてつくられた型を、真土型とも、土型ともいいます。彫刻などの鋳造でもこの技術・技法が使われています。ちなみに、釜を作り終えた後の鋳型は、砕いて壊した後、鋳型づくりに再利用するそうです。エコですね。エコというより、代々受け継がれた秘伝のたれ、のような感じでしょうか。

今回のレポートはここまで。(なんとなんと。文字制限があるのです。)
次回は型ひきの次の工程からレポートします。お楽しみに!

14. 「○○ならでは」

同僚のMが国立工芸館の工事の写真を見せてくれたのですが、写真の中に、面白いものがありました。
皆さん、この写真の左下に見えるもの、何だかわかりますか?

国立工芸館の敷地の前に何かが敷いてありますね。まだ工事中の写真なのですが、左下に見えるこれ、「融雪」のための電熱線なのだそうです!関東で生まれ育った担当は、すぐにはわかりませんでした。下の写真は唐澤課長撮影の1枚。電熱線がはっきり見えますね。

工芸館の移転先の石川県は降雪量が多く、日本で一番とも。東京では、雪は降っても積もらないか、積もっても2~3cmという印象ですが、金沢では20~30cmくらい積もるそうです。(ただ、近年の金沢市では雪はそこまで多くないそうで、金沢にお住いの皆さんはいかが感じておられますか?)たくさん雪が降れば、当然、積雪処理や除雪作業が必要になります。それはそれは大変な作業になることが想像できますね。路面が凍結して来館者が滑ってしまっても大変です。
そこで、路面に融雪の設備を整備して冬に備える、というわけです。
 
融雪にはいくつか方法があるようで、雪が降るまえに道路に散布して路面の凍結を防ぐ「凍結防止剤」の利用や、地下水を路面に散布して除雪や融雪、凍結を防ぐ融雪パイプという装置の利用。国立工芸館がある兼六園周辺では水が出ている光景をよく見かけるそうです。(この下の写真も唐澤課長が送ってくれました。朝日に照らされてキラキラして綺麗ですね。)


さらに、電熱線や温水を循環させるパイプを地面に埋めて路面の温度を上げることにより除雪、融雪、凍結防止をする「ロードヒーティング」という方法。工芸館で採用したのは電熱線のタイプですが、温度は1~2℃に保たれるので熱量もわずかで済み、電気代も比較的安価だそうです。「雪国ならでは」の工事風景ですね。
世の中には知らないこと、見たことのないもの、聞いたことのないことが、まだまだたくさんあるんだなぁとこの写真を見て思ったのでした。

13. かわいい試作品

今回のクラウドファンディングでは、作家さんが制作する作品が返礼品に含まれるコースをご用意していますが、白磁の新里明士さんと赤絵細描の見附正康さんのコラボコースには驚かれた方も多いのでは?
どういうコラボレーションかと言いますと、新里さんが器を作り、見附さんがその器に絵付けをします。とだけ聞くと、特に珍しい感じもないように思われるかもしれませんが、実はこのコラボ、すごいのです!
 
何がすごいのか、と言いますと・・・キーワードは「異なる素地」「異なる釉薬」です。
 
キーワード1つ目「異なる素地」
赤絵細描の見附さんがいつも絵付けをしている素地は九谷の磁器土です。この磁器土はちょっと独特で、薄いグレー色をしています。この薄いグレー色が赤絵に深みをもたらします。
一方、新里さんの作る器の素地は、透光性を求めた磁器土です。透光性を求めるとどうなるかというと、白さが際立ってきます。この白色の素地に赤絵で描くと、赤絵が薄くやや軽い感じになるのかもしれない、と考えられました。
 
キーワード2つ目「異なる釉薬」
見附さんはいつも、上絵付けが焼き付くように調合された「特別な釉薬」を掛けて焼き上げているために、赤絵がきれいに焼き付きます。
新里さんは「光器(こうき)」という作品をメインに作っているのですが、これは、ロクロで成形した白磁の薄~い素地にドリルで小さな穴を無数に開けて(これだけでも大変緻密でデリケートな作業ですね!)、その穴を透明の釉薬で満たして焼き上げる「蛍手」という技法を用いています。穴を開けたところから、光が差し込んで、蛍の光のように見えることから「蛍手」というそうです。ネーミングも美しい!
つまり、見附さんが普段使っている「絵付け用に調合した釉薬」ではない新里さんの釉薬の上に果たして赤絵が焼き付くかどうか、わかりませんでした。また、薄~くて穴のたくさん開いた新里さんの繊細な器に絵付けをするので、上絵付けのための二度焼きをすることで、蛍手のガラス部分にひびなどが入る可能性があります。
 
そんなわけで、素地の色の異なる新里さんの器に見附さんの絵付けができるのか、そして深みのある赤絵を表現することができるのか、夢の実現に向けてテストをする必要がありました。なんといっても初めての試みなので。
ドキドキしますね。
 
コラボコースがサイトに出ている、ということは、もちろん、テストの結果は「調合によって赤絵の色合いが出せる」「蛍手用の釉薬に赤絵が焼き付いた」ということで大成功!でした。パチパチ。
新里さん、見附さん、ありがとうございました。
返礼品として実際に作っていただくのは「菓子鉢」です。こんな状況なので、なかなか会って打ち合わせ、というのも難しいのですが、近いうちに新里さん、見附さんでどういう感じにしようかね~というお話をされるそうで、ご本人たちもどんな作品が生まれてくるのか、楽しみにしているそうです!(担当も打合せに同席したいです!!が、今は我慢、、ですね。)

12. 工芸と美術と須田さん

今回のプロジェクト、須田悦弘さんがご参加くださっていますが、「須田さんって美術作家さんなのになぜ工芸のプロジェクトに?」と思った方も多いかもしれませんね。
 
見る者が本物だと思ってしまうほど繊細で美しい一輪の花や小さな草を、木を彫ることで表現している須田さんの作品は、多くの方が展覧会やギャラリーなどでご覧になっていることかと思います。そんな皆さんにとっては、「木彫」の作家さんの須田さんがなぜ工芸のプロジェクトに?ですよね。
 
昨年、プロジェクトに参加していただく作家さんを選んでいた時、工芸課長の≪脳内茶の湯ワールド≫では「○○さんと○○さんの茶器がこうあって、○○さんの棗が・・・、○○さんの釜が・・・」と、脳はフル回転。茶の湯ワールドの完成まであと少し、というある日。
「須田さんの作品がさあ、こう、、、ピッッとあったら絶対かっこいいよね!」と空間に須田さんの作品を置くことでイメージが完成したのでした。
そこで、須田さんにプロジェクトへの参加と新作の制作を依頼したところ、幸運にも快く引き受けてくださったのでした。
 
さてここで、最初の疑問「美術作家さんなのになぜ工芸のプロジェクトに?」に戻ります。
そもそも、明治より以前は「美術」という言葉は日本語に存在しなかったそうです。明治政府が1873年のウィーン万国博覧会に参加した際、ドイツ語での概念を日本語に訳す際、「美術」という言葉を作った、つまり「美術」は当時造語であり、「美術」の概念はそれまでの日本にはなかったのだそうです。そして「工芸」という言葉や概念はそれ以前から存在していた。つまり、「美術」という言葉が生まれるよりも前に、卓越した技術を用い作った精巧で美しいものが「工芸品」であったのなら、須田さんの作品は「工芸品」と言ってもよいのでは?!
とは言え、現代の概念で須田さんを「工芸作家」と称してしまうのは、やはりちょっと違うのかな、と思いまして、最終的に「12人の工芸・美術作家」としたわけです。
異色のコラボによる茶の湯ワールド、いったいどんなものになるのか、わくわくしますよね!
 
最後に。
担当は2月初めに都内某所で須田さんにお会いしてお話をする機会をいただきました。担当の恩人が須田さんの作品がとても好き、ということもあり、お会いする直前はドキドキしましたが、お会いしてみると、とっても優しくて、穏やかで、にこやかで、和やかで、あっという間に楽しい気持ちに。プロジェクトの説明をきちんとしたかどうかも覚えていないほど、担当の個人的な話題で会話が弾んでしまい、担当ばかりがおしゃべりをする形に・・・お忙しいのに嫌な顔ひとつせず、にこにこと楽しそうに聞いてくださる器の大きな須田さんでした。

11. 動く見附さん

皆さん、先日(4/18)放送された「世界一受けたい授業」でプロジェクト参加作家の見附正康さんが紹介されました!
ご覧になりましたか?

卓越した技術で絵付けをする様子を紹介したり、普段使っている筆のお話をされたりと、短いながらもお仕事の一端を知ることができましたね。

優しく楽しいお人柄がそのまま画面から伝わってきました。

「動く見附さん」を見ることができて担当はとても嬉しくなりました。

10. 「50人目で50%!!」

皆さま。おかげさまで国立美術館のクラウドファンディング、4月22日20時に目標達成率50%に到達しました!!しかも、50人目のご参加で50%に到達。なんとも縁起が良い感じがしてしまうのは、担当だけでしょうか。
 
これまでご参加くださった皆さまおひとりおひとりに改めて感謝を申し上げます!!
そして残り50%。これからも応援をどうぞよろしくお願い致します!!
 
 
新型コロナウィルスの感染拡大が止まらず、お仕事においても、私生活においても、皆さま不安や不自由を感じていることと思います。また、ご自身や近しいところに感染されて苦しんでおられる方もいらっしゃるかもしれません。そんなことを考えると、やはり心は痛みますし、気持ちは沈みます。
お教室やイベントが中止になり収入の減っている作家さんもいらっしゃいますし、多くの時間とエネルギーと情熱をかけて個展を開催してもお客様の数が減り大変な思いをされている作家さんもいらっしゃいます。思うように制作に打ち込めない作家さんもいらっしゃいます。
このプロジェクトを通して、才能あふれる素晴らしい作家さんたちを応援できれば、そして、このモヤモヤした毎日に少しのワクワクを皆さまにお届けできればうれしいなと思っております。

最後に。皆さまからの応援コメントや、個人的に送ってくださるメッセージ、ご参加くださった方々との会話、やり取りに、毎日とても励まされております。本当にありがとうございます!!

09. 松崎森平さんのアトリエにお邪魔しました!

穏やかに晴れ、冬の終わりと春のきざしを感じるようなある日、赤い電車に揺られ、やってきたのは海辺の町。担当の職場(千代田区)からは、ちょっとした小旅行です。小旅行の目的は、漆芸(蒔絵)作家の松崎さんの制作現場の取材です。
松崎さんの案内で、まずはインスピレーションの源である浦賀の海を見せてもらいました。ここ「浦賀水道」は太平洋と東京湾をつなぐ場所で、東京湾から太平洋に出ていく、そして太平洋から東京湾に入ってくるすべての船が通るそうです。担当が訪れた時間もたくさんの船が往来していました。この日は向かいにくっきりと房総半島が見えていて、波はとても穏やかで静かで、日差しは暖かく、混雑した通勤電車や日差しがほとんど入ってこない事務所でのデスクワークなどとは別世界でした。
海辺を歩いた後は、松崎さんのご自宅兼アトリエにお邪魔しました。展覧会への出品作品として制作依頼をされた巨大な蒔絵(制作には2年半もかかったそうです!)の前で、色々なお話を伺った後、アトリエで実際に作業する様子を見せていただきました。
 
本プロジェクトで松崎さんには茶の湯の道具、棗(なつめ)の制作をお願いしています。接着用に調整した漆を筆に取り、細い線で棗の上に塗っていきます。もうこの時点で、不器用な担当には無理だなぁと思いました。続いて漆の上に、小さな小さな貝のかけらをピンセットや爪楊枝で貼っていきます。貝は白蝶貝、アワビ貝、夜光貝などに彩色し、様々な大きさに切り割りして使っています。棗のようにカーブがあるものは、貝を貼るのにも工夫が必要で、カーブに沿うように、貼った貝を途中で切ったり、小さいパーツを貼ったりします。色とりどりの無数のかけらの中から、波の色が変わっていく様をイメージし、完成形をイメージしながら「これだ」というものを選ぶ松崎さん。気の遠くなるような作業です。あまりに集中して作業を続けてしまうと、心にも体にも負担が大きくかかってしまうので、2時間に1回は休憩をはさむそうです。
貝を貼る作業をいったん終えた棗は、湿度を60~70%に保った室(むろ)に入れて保存します。もともとは食器棚だったという松崎さんお手製の室。室の内壁に水を吹きかけ湿度の調整をします。漆は湿度が高いと早く固まるし、ガチッと固まるのだそうです。なるほど。
この漆を塗る、貝を貼るという作業を何度も何度も続け、心に浮かんだ波を描いていきます。そして最後は、貝と同じ高さになるまで黒い漆を上塗りし、木炭で研ぎ出して仕上げます。研ぎすぎて貝がなくならないように気をつけてなくてはならず、デリケートな作業です。
 
 
東京出身の松崎さんは、浦賀の海と自然に魅了され、1年前にこの土地に移住しました。浦賀の海を毎日見ている松崎さんは「この海は毎日違う顔を見せてくれる」と言います。色、音、光、波の表情。担当にはキャッチできない微かな違いを敏感に感じ取り、それが作品に反映されているのだなと思いました。
作品タイトルのレポートでもご紹介したように、「小さい世界だが、棗(なつめ)で広がっていく世界を表現したい」と松崎さんは言います。下書きはせず、感覚で描きます。具象ではなくイメージで加飾するため、その瞬間その瞬間の松崎さんの心象で作品は変化していきます。「自然のものなので、最終形はイメージとぴったり同じにはならないけれど、それが面白いんです。自然に任せています。」と松崎さん。
松崎さんは、「終わった」と思って仕上げていく過程で、どうしても「足りないな」と思って「つい足してしまう」ことがよくあるそうです。「終わり時」が難しいけれど、今回は「足したい気持ち」をぐっとこらえて、「ここだ」と思ったタイミングで終えるつもり。
 
いったいどんな棗が国立工芸館に届くのか、とても楽しみです!


08. 工芸館と桜

今年2月末に閉館した東京の工芸館は、北の丸公園内に位置しているため、桜の名所、千鳥ヶ淵がすぐお隣です。桜の季節、工芸館の周辺は白色、薄ピンク色に染まります。
竹橋駅から工芸館に向かう道も、桜を楽しみながら歩くことができました。担当も桜の季節に工芸館に行くと気分が上がったものです。
石川県金沢市の国立工芸館ではどうなのかな、と思っていたところ、同僚のMから1枚の写真が送られてきました。満開の桜が1本、日を浴びて輝いています。青空と桜と国立工芸館。来年の春にはここに立ってみたいな、と思いました。

07. 作品のタイトルをご紹介します!《金工》と《漆芸》

前回は陶芸作家さんたちが制作中の作品タイトルをご紹介しました。今回は、金工と漆芸の作家さんたちの作品タイトルをご紹介します。
 
《金工》
坂井直樹さんは、お茶の道具のひとつ、お湯を沸かす釜を作ってくださいます。作品のタイトルは「風炉釜」です。「風炉」とは、茶の湯の席でお湯を沸かすために使う炉のことです。本作品のタイトルはそのままずばり、なのですが、返礼品として制作くださる作品のタイトルはなんとも素敵です。その名も「侘びと錆びの花器」。
「わびさび」という表現はよく耳にしますが、普通は「詫び寂び」と表記します。「さび」は、時間の経過によって劣化したり枯れていったりする様子を表し、それが独特な美しさを生み出すということで、「寂び」の字を使います。「わび」は粗末であったり「寂び」ていたりしても、それを受け入れ楽しむ内面の豊かさを表し、「詫び」の字を使います。
坂井さんは鉄や錫、真鍮を使って作品を作っていますが、湿気で鉄が錆びる自然の反応を作品に反映させています。自然の力に任せ錆びるという作用が働いた作品は、1点1点、すべて違う顔を見せてくれます。そんな坂井さんのテーマは、まさに「わびとさび」。鉄を扱う坂井さんなので、使う漢字はもちろん「侘びと錆び」。カッコイイですね!
 
畠春斎さんにも釜を作っていただきます。畠さんによると、金工・鋳金の世界では、作品の材質や形がそのまま作品タイトルになることが一般的で、作品に特別なタイトルをつけることはあまりないそうです。畠さんも、これまで「四方釜」や「六角釜」、「流水文輪花釜」、「丸形鉄瓶」、「富士形鉄瓶」など、形をタイトルに付けて作品を発表してこられました。
今回のプロジェクトでは、「普段しないこともぜひして欲しい!」という担当のお願いに応え、特別にタイトルをつけてくださいました!
タイトルは、八角隅切釜「律」
「”律”という字には秩序とリズム、硬さと柔らかさが同居したイメージがあるのでタイトルにしました。いつもは副題を付けないので、とても悩みました。」と畠さん。「律」、シンプルで凛としていて、とても素敵ですよね。担当のわがままにも柔軟に対応してくださった優しい畠さんです!
 
《漆芸》
安藤源一郎さんが作ってくださる作品のタイトルは、紙胎蒟醬風籟茶器です。
皆さん、スッと読めましたか?担当は読めませんでした!
「したいきんまふうらいちゃき」と読みます。
「紙胎(したい)」とは、石膏型に和紙を糊漆で貼り、乾いたらまた糊漆で和紙を貼り、また貼り、、、と何度も和紙を糊漆で貼り重ねて素地を作る技法です。この和紙もご自身で漉いておられます。
「蒟醬(きんま)」とは、漆芸における加飾技法のひとつで、漆を塗った地の面に蒟醬剣という彫刻刀で文様を彫り、その凹部に赤・青・黄・褐色などの彩漆を刷毛で塗ったり箆(へら)で埋めたのち、砥石や炭などで平滑に研ぎ出します。この作業には、図案や面積にもよりますが、1~2ヶ月くらいの時間がかかるそうです。
そして、「風籟(ふうらい)」とは風の音の意で、白や青、緑の色彩で吹き渡る風を表現します。茶器と風の音。この茶器が置かれた静謐な空間ではどんな風の音が聞こえてくるのでしょう。今から楽しみですね。

松崎森平さんは、浦賀の海に惚れ込み、浦賀の風景や海を作品で描きたい!と浦賀に移住した漆芸の作家さんです。工芸館で事前打合せをした際は、「小さい世界だが、棗(なつめ)で広がっていく世界を表現したい」と語ってくれました。具象ではなくイメージで加飾しながら、フィーリングでタイトルを決めるそうです。本プロジェクトのために制作してくださる作品には、どんなタイトルがつくのか、担当もとても楽しみにしていました。
偶然にも、担当が浦賀のアトリエを訪ねた日、「うん、決めました。《うみひらけし》にします。」と松崎さん。担当は単純に、「海が開いている様子」を表現しているのかなと思っていましたが、翌日《海平らけし》の文字をいただき、なるほど~そういうことか・・・と。その日はよく晴れていて、海は穏やかでした。松崎さんに案内していただいた浦賀の海とアトリエからの風景、アトリエで見せていただいた小さな棗、桜餅を食べながら、作業をしながら語ってくれた工芸に対する想い、それらすべてが、この「海平らけし」そのもののような気がしました。
ということで、松崎さんの作品タイトルは、螺鈿棗「海平らけし」に決定です!

水口咲さんの作品タイトルは「乾漆盆 はなひら」です。盆、というと「給仕盆」を思い浮かべるようで「これはお盆なの?何に使うの?」と不思議に思われることが多いそうです。「乾漆盆 はなひら」は、用途としては主菓子をひとつ載せたり、お料理を載せたり、つまるところ銘々皿(めいめいざら)なのですが、「皿、と呼ぶより、盆、の方が柔らかい漆器の印象に合っていると思っています」と教えてくださる水口さんは、とっても柔らかい印象の素敵な女性なのです。柔らかで優しい水口さんの手から生まれるからこそ、作品も同じ印象になるのですね。

須田さんの作品タイトルは、まだ後日ご紹介します。お楽しみに。
 

 
 

06. 作品のタイトルをご紹介します!《陶芸》

本プロジェクトのための制作を依頼した作家さんたちには、「作品にタイトルを付けてください!」とお願いしています。
今日は、それぞれの作家さんたちが鋭意制作中の作品タイトルをご紹介したいと思います。
まずは《陶芸》の作家さんたちの作品から。
 
内田鋼一さんは、本プロジェクトのために新作を3点制作してくださいます。そのタイトルは、「引出黒茶盌」(ひきだしぐろちゃわん)、「白金彩茶盌」(プラチナさいちゃわん)、「加彩茶盌」(かさいちゃわん)です。
今泉毅さんも新作を3点。「窯変天目」(ようへんてんもく)、「青瓷茶碗」(せいじちゃわん)、「白瓷茶碗」(はくじちゃわん)です。「窯変」とは、陶磁器を焼く時に、火の性質や釉薬の成分などによって、器が予期しなかった色や様相を呈することを意味します。「天目」は、天目釉と呼ばれる釉(うわぐすり)をかけて焼かれた陶器製のお茶碗のことです。どんな作品になるのか、今から楽しみですね。
和田的さんは、白磁茶盌「ダイ/台」茶盌「御神渡り」の2点を制作。ユニークなタイトルに興味津々です。このタイトル、いったいどんな風に生まれたのでしょうか。和田さんにお聞きしたところ、ほとんどの場合、「作品名はあえて不完全な形で」つけているそうです。作品を見る人が「自由に想像できる余白」としての意味が込められているのだとか。「作品と題名を見比べて、何かを感じていただけたら嬉しいです。」と和田さん。作品の完成が待ち遠しいですね!
津金日人夢さんは、「青瓷水指」と「青瓷盌」。新里明士さんは、「光器水指」(こうきみずさし)と「光碗」(こうわん)の2点。津金さんと新里さんのお二人は、お茶碗に加えて、水指を作ってくださいます。「水指」とは、茶道の点前の際に茶釜に水を足すために使ったり、茶碗や茶筅を洗う水を蓄えておくために使ったりする器のことです。
津金さんは、青瓷の作家さんです。「見る人、手に取る人が、自分なりの何かを感じてくれたら作家として一番嬉しい」という津金さんの思いから、今回の作品には、副題がついていません。ただ、副題を付けることもあります。例えば、「水天彷彿」。空と海がはっきりしない様を表現しているこの言葉が、空や海に例えられる青瓷の本質のように感じインスピレーションを受けて作陶する。自分の中にイメージがあって、それを見る人にも感じてもらいたい、そんな時には副題を付けているそうです。
 
「茶碗」と「水指」。お茶の道具が2つ、ここで揃いました。今回のプロジェクトでは、工芸館が茶の湯などのイベントを行う時に必要になるお道具をすべて作家さんに作っていただきます。12人の作家がそれぞれのスタイルで制作する作品たちが一堂に会する時、いったいどんな景色を見せてくれるのでしょう。とても楽しみです!
 
最後に、見附正康さんの作品は、「赤絵細描小紋茶盌」(あかえさいびょうこもんちゃわん)です。見附さんは、お茶碗を制作する陶芸作家さんではなく、器に絵付けをする絵付作家さんです。「赤絵細描」は、細い筆を使って白磁に絵の具で模様を描く「九谷赤絵」と呼ばれる伝統技法です。見附さんは、その伝統技法を継承しながらも、現代的な感覚で新しい世界を描いていきます。今回は、本プロジェクトのためだけに特別な絵付けをしてくれるようですよ。どんな世界が展開されるのか、わくわくしますね。
 
今回は陶芸作家さんたちの作品タイトルをご紹介しました。同じ「わん」でも、「茶碗」と「茶盌」。作家さんたちはどちらの漢字を使うのか、きっとこだわりを持っているのですね。
次回は、《金工》と《漆芸》の作家さんの作品タイトルをご紹介します。お楽しみに!
 

05. 国立工芸館ができるまで③

金沢偕行社(国登録有形文化財)
金沢偕行社は、明治42年(1909年)に、県立能楽堂横の敷地に建てられた近代洋風建築の建物で、全国でも数少ない明治期に建てられた旧陸軍の施設です。講堂として金沢城内の将校集会所を移築するとともに本館を新築しました。
「偕行社」とは、陸軍将校の社交場や集会所(将校クラブ)のことで、金沢偕行社は明治17年(1884年)に大手町で創設されました。将校たちが娯楽に興じる遊戯室や貴賓室などがあり、戦利品の陳列や軍装品の販売所、将校生徒試験場などの用途に使用していたと伝えられています。
戦後は財務局と国税局が使用していましたが、昭和42年(1967年)に石川県が建物を購入しました。
昭和43年(1968年)、旧講堂部分を解体撤去、昭和45年(1970年)、敷地内で曳家を行い、郷土資料館(現歴史博物館)の収蔵庫として使用されていました。

明治31年(1898年)に建てられた第九師団司令部庁舎に対して、金沢偕行社は11年後の明治42年(1909年)に建てられていて、主要な構造は似ているのですが、外観の意匠に工夫をこらしているのが特徴です。正面にアーチ形玄関、円柱形の付柱(ピラスター)、二階上部のアーチ窓、三角形のペディメントが付いた上げ下げ窓、横方向の部材(コーニス)を多く入れて水平線を強調するなど、バロック風の技巧的な装飾を用いた華やかな意匠となっています。屋根は瓦葺で、中央部は急勾配で上部が水平になっているマンサード風屋根になっています。移築前は窓枠や柱の色は灰色でしたが、建築当時の緑色を復元しています。
換気口には、旧陸軍が使用していた星形の装飾が施されています。(旧近衛師団司令部庁舎を使用していた東京の工芸館にもありましたね。)開館後にぜひ国立工芸館を訪れて、星形装飾を探してみてください!



国立工芸館の工事についても近日中にレポートします。お楽しみに。

04. 国立工芸館ができるまで②

第九師団司令部庁舎(国登録有形文化財)
第九師団司令部庁舎は、明治31年(1898年)に金沢城二の丸跡地に建てられた近代洋風建築の建物で、全国でも数少ない明治期に建てられた旧陸軍の施設です。戦後は、昭和24年(1949年)に金沢大学本部として使用されていましたが、昭和43年(1968年)に石川県が建物を購入、県立能楽堂横の敷地に移築しました。その際、両翼を撤去されています。
昭和45年(1970年)から石川県健民公社(石川県県民ふれあい公社)が使用し、平成16年(2004年)からは歴史博物館の収蔵庫として使用されていました。

国立工芸館として使用するため、2017年に解体され、現在の場所に移築、両翼が鉄筋コンクリート造で復元されました。
外観の特徴は左右対称の構成で、正面中央は付柱(ピラスター)、三角形の切妻壁(ペディメント)で表現され、二階正面と側面の角の上げ下げ窓下には装飾が施されるなど簡素なルネサンス風の外観をしています。屋根は瓦葺で、屋根から突き出した換気のための窓(ドーマーウィンドウ)が設けてありました。庁舎のため、偕行社に比べて質素な外観になっています。



次回は、金沢偕行社の建物についてレポートします。お楽しみに。

 

03. 国立工芸館ができるまで①

2016年、国の地方創生施策の一環である政府関係機関の地方移転として、東京国立近代美術館工芸館が石川県金沢市に移転することが決まりました。この移転により、日本海側では初めての国立美術館が誕生します。
国立工芸館の移転先は、石川県金沢市の兼六園を中心とする半径1㎞の範囲内、「兼六園周辺文化の森」の中です。国立工芸館の両隣には、石川県立美術館、そして国の重要文化財に指定されているいしかわ赤レンガミュージアム(石川県立歴史博物館・加賀本多博物館)の間になります。

古い建物の移築
東京(千代田区北の丸公園)で昭和52年(1977年)に開館した工芸館の建物は、明治43年(1910年)に陸軍技師・田村鎮(やすし)氏の設計により建てられた旧近衛師団司令部庁舎を保存活用したもので、重要文化財に指定されています。外観と玄関、広間の保存修理工事と、谷口吉郎氏による展示室の設計に基づく内部の改装によって、工芸部門の展示施設として再生した建物です。
北の丸公園の豊かな緑に囲まれた工芸館の赤煉瓦は青空に美しく映え、これまで多くの方から愛されてきました。


そんな工芸館のイメージを守るべく?金沢でも歴史的な建物を移築して美術館仕様に改修しています。移築された建物はふたつ。国の登録有形文化財である旧陸軍の第九師団司令部庁舎と金沢偕行(かいこう)社です。

次回以降、第九師団司令部庁舎と金沢偕行社の建物をより詳しくご紹介します。お楽しみに!

02. 作家さんとの打合せ

本プロジェクトに参加してくださっている作家さんたちは、熊本、富山、三重、愛知、岐阜、石川、神奈川、埼玉、千葉、東京、山形と、皆さん活動の拠点は日本各地にわたります。

作家さんとの打合せはメールや電話ですることもあれば、工芸館にお越しいただいたり、個展の会場にお邪魔して打合せをしたり。こんな感じの作品を作ってもらえると嬉しいです、と担当がリクエストを出したり、返礼品はこんな感じのものがいいよね、この組み合わせはしたことがないから皆さんに喜んでもらえるかな、と作家さんがアイデアを出してくださったり。わくわくする時間が続きます。

プロジェクト期間中、作家さんの工房へお邪魔して、作家さんのお仕事の様子、作品が生まれる様子を皆さんにご紹介したいと思っています。

写真は金工の坂井直樹さん、漆芸の松崎森平さん、陶磁の新里明士さん、そして工芸課長の唐澤さんです。



 

01. いよいよです!

国立美術館のクラウドファンディング第2弾、いよいよスタートです!!

国立美術館のクラウドファンディングは、2019年に第1弾プロジェクトとして、「国立西洋美術館所蔵、クロード・モネ作《睡蓮 柳の反映》のデジタル推定復元プロジェクト」を行いました。参加者総数348名、支援総額3,642,000円、目標達成率121%で終了しました。詳しい内容は、「過去のプロジェクト」でご覧いただけます。

第2弾は、今年7月に予定されている工芸館の石川移転開館を記念して、「12人の工芸・美術作家による新作制作プロジェクト!」を行います。気鋭の工芸・美術作家12名による新作特別制作です。完成した作品は、国立工芸館のイベントや展示などで使用します。

作家さんの制作の進捗状況や、国立工芸館の移転開館に関する情報など、今後活動レポートで定期的に紹介していきます。

私たちと一緒にぜひ、国立工芸館の開館と工芸・美術の文化を盛り上げましょう!
  • 2020/07/06

    中川 宗津 さん

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    安藤源一郎さん
    素晴らしい漆の世界を教えてくださって、有難うございました。益々のご活躍をお祈り申し上げます。
  • 2020/07/05

    佳蓮 さん

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    コロナ禍の中で通常以上に大変な船出になっているかと思いますが応援してます。
    安心して移動できるようになったら是非行きたいと思っています。
  • 2020/07/02

    鈴木 孝典 さん

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    安藤源一郎くんへ
    応援してます!頑張ってください!!
    レポート面白かったです。
  • 2020/07/01

    木村 康紀 さん

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    開館を楽しみにしています!
  • 2020/06/23

    宮原 良枝 さん

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    私自身も半分趣味で陶磁器のデザインや制作に関わっていますが 皆さんの歴史に残るシンプルで 素敵な作品を期待しています。
  • 2020/06/13

    工房 多津蔵 さん

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    若い皆さんが日々創作に頑張っていらっしゃる事、本当に応援したいと思っておりました。今回12人の作家さんのクラウドファンディングを知り、本当に僅かですが応援させて頂きたいと思いました。また、国立美術館、国立工芸館さんがどの様にものつくり・作家を支援して行かれるのか知りたいと思っております。
    ものつくりの隅っこで生きているものですが、今回の取り組み応援しております。
    金沢の工芸館とても楽しみにしております。
  • 2020/06/02

    別府 昌美 さん

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    数年前、見附さんの工房を訪れたことがあります。そのときすでに人気があり、作品の入手は困難になっていました。今回の企画をみつけたとき、大きな企画だなと感嘆しました。工芸館の成功を祈念いたします。
  • 2020/05/24

    根岸 由美 さん

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    行ったことがない金沢に素敵な作品を見に行ける機会を楽しみにしています。
  • 2020/05/24

    長尾 千登勢 さん

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    新しい工芸館で、個性豊かな作家の皆さまの作品が見れるのを楽しみにしております!
  • 2020/05/07

    佐藤 将彦 さん

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    県立美術館との相乗効果で、もっとたくさんの人に見に来てほしいです。
  • 2020/04/22

    七彩 さん

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    開館、誠におめでとうございます。
    沢山の感動がここから発信されることを期待しております。
  • 2020/04/12

    神田 丈士 さん

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    国立工芸館移おめでとうございます。
    参加作家の方には伝統を守りつつ、革新で今後の工芸の発展に寄与されること期待しております。
    新作・収蔵品など展示楽しみにしております。
  • 2020/04/11

    舟田 良子 さん

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    魂の共振共鳴を祈る
  • 2020/04/06

    小玉 英明 さん

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    明るく、前向きで、新しいものが生まれる印象を受けましたので、応援いたします。
  • 2020/04/06

    簗迫 龍王 さん

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    素敵な美術館を待ってます!
  • 2020/04/02

    高橋 なお さん

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    今、美術館に行くのも、不安を覚えますが、新しい工芸館のオープンを楽しみにしております。
  • 2020/04/02

    西 従子 さん

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    金沢移転 楽しみに待っております!

支援者の皆さま

国立美術館は、クラウドファンディングにご参加くださった皆さまに、心より感謝いたします!!!

支援者の皆さま

  • 境 悠太 様
  • 佐藤 文 様
  • 杉山 志央 様
  • 川嶋 直司 様
  • 西 従子 様
  • 石蔵漆工社 様
  • 山本 宗一郎・優子 様
  • 北村 俊泰 様
  • 藤井 博美 様
  • 谷 雅子 様
  • 後藤 直人・眞砂子 様
  • 猪嶋 利昭 様
  • 平岡 智 様
  • 寺尾 健一 様
  • 嶋田 修 様
  • 嶋田 明子 様
  • 加藤 弘治 様
  • 玉井 裕也 様
  • 簗迫 龍王 様
  • 山野 俊治 様
  • 黒田 美香 様
  • 小玉 英明 様
  • 鈴木 隆幸 様
  • 北野 賢史 様
  • 株式会社サクラ文鳥舍 様
  • 西田 健二 様
  • 甲良 里栄子 様
  • 髙桒 宏之 様
  • 下木 雄介 様
  • 和酒BAR縁がわ 様
  • 株式会社 二三味珈琲 様
  • 牧 達也 様
  • 高木 芳夫 様
  • 高木 薫 様
  • 神田 丈士 様
  • 徳田 恵子 様
  • 三輪田 安須子 様
  • MI 様
  • 舟田 良子 様
  • 松永 しのぶ 様
  • 高橋 なお 様
  • 植田 俊一郎 様
  • 五十殿 彩子 様
  • 西野 万里子 様
  • 鳥羽 裕介 様
  • 得永 明 様
  • 川根 有紀 様
  • 中村 文佳 様
  • 加藤 千晶 様
  • 田中 優斗 様
  • 徳井 静華 様
  • 清水 朗 様
  • 川上 美奈子 様
  • 簡 雅美 様
  • 横井 則彦 様
  • 横井 明美 様
  • 菱沼 良章 様
  • 金川 絵梨花 様
  • 窪田 元彦 様
  • まえだあつこ 様
  • 斎藤 綾 様
  • 福永 幾夫 様
  • 福嶋 ゆかり 様
  • 小松 親次郎 様
  • 森野 邦彦 様
  • 岡部 伸一・貴代子 様
  • 長尾 千登勢 様
  • 根岸 由美 様
  • 津川 彩英 様
  • 株式会社 金沢美術倶楽部 様
  • 金沢美術商 協同組合 様
  • 本多 一顯 様
  • H.HYUGA 様
  • 羽後 丸訓 様
  • 山本雅彦・朗子 様
  • 工房 多津蔵 様
  • 料亭 明月楼 様
  • 妹尾 緑 様
  • 岩坪 實 様
  • 宮原 良枝・さくら 様
  • 日本橋東京法律事務所 様
  • 中田 章仁&なぎさ&はる香 様
  • 伊藤 圭一 様
  • 片岡光山堂 様
  • スズキ広務店 様
  • 山口 蒔人 様
  • 小野 亮子 様
  • 中川 宗津 様
  • 静香&博英 様
  • 西田 優子 様
  • 木下 京子 様
  • 株式会社 山岸建築設計事務所 様
  • 内田 伸 様
  • T.S. 様
  • あらや滔々庵 永井 朝子 様
  • 吉村 真理子 様
  • 山田 知明 様
  • 百々 美千子 様
  • 渡邊 磨 様
  • 下村 知也 様
  • 加藤 幽香 様
  • 小林 結花 様
  • 粟野 敦 様
  • 室 英子 様
  • 荒川 尚子 様
  • 下澤 武流 様
  • 天野 博之 様
  • 城所 淳司 様
  • 持留 宗一郎 様
  • 矢野 公子 様
  • 蒲田 寛・真理子 様
  • 吉田 理紗 様
  • 西川 和秀 様
  • 石井 絢子 様
  • 利佳 & 佑季 様
他22名の皆さま